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2014年1〜3月の活動報告
を掲載しました。

4月の予定
4月6日  ミンウーさんのための法要・月例会議
4月13日 ビルマ水掛け祭りに出店(日比谷公園)

2010年11月25日木曜日

政治活動としての「たすけあい」(セタナー第1号より)

(10月24日に発行されたBRSA機関誌「セタナー(気持ち)」からの日本語記事紹介の第3弾です。) 
政治活動としての「たすけあい」 
BRSAの政治的立場について
在日ビルマ難民たすけあいの会副会長 熊切拓
在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)は、「民主化のためのセーフティネット」を標語としていることからも明らかなように、ビルマ民主化のために活動している人々が心身ともに健康に安心して政治活動に打ち込めるように支援する団体です。そのため、わたしたちの活動では、政治活動家である会員たちが直面するさまざまな生活上の問題の解決に重点が置かれています。具体的にいえば、入管に収容された会員への面会活動、仮放免のための身元保証と保証金の貸与、病気の会員のための経済的支援、生活相談などです。また、リクリエーションとして年2回開催しているバス旅行も重要な活動です。 

会員の生活に関するこれらの活動が中心のため、BRSAは単なる福祉団体であり、政治団体ではないと考える人がいるとのことです。ですが、これはまったくの間違いです。わたしたちは、確かに国民民主連盟解放地域(日本支部)(NLD-LA(JB))やビルマ民主アクション・グループ(BDA)、ビルマ民主連盟(LDB)などの民主化団体のように活動はしませんが、それでもさまざまな分野で立派に政治活動を行っています。たとえば、さまざまな民主化デモにBRSAの旗を掲げて参加したり、政治的イベントやお祭りに参加・寄付したりするなどの活動、あるいはこの「BRSAジャーナル」を出版して政治的意見を表明したり、言論の自由を推進したりするのもそれにあたります。ですが、BRSAの政治活動の中には、BRSAだけにしかできない特別なものであるがゆえに政治に関係あるとは分かりにくい活動もあるのも確かです。
 

いっぽう、このようにBRSAの活動が他とは異なっているため、難民認定申請の審査の過程でBRSAの政治的意義がなかなか理解されない、と会員たちが感じているということも聞きました。ですので、今回はBRSAの政治的立場について詳しくお話しできればと考えています。そうすれば会の外の人々もBRSAについてよく理解してくださるでしょうし、また会員のみなさんにもよい刺激となるのではないかと思っています。
 

BRSAの政治的立場について一言でいえば、現在の軍事政権を倒し、ビルマを真正な連邦国家として民主化するために努力する、ということになります。ですが、これは単なるスローガン以上のものではありませんし、またそこにBRSA独自の立場というものは見えてきません。要するに、民主主義を叫ぶだけならば、誰にでもできるのです。軍事政権もまた民主主義を語っています。
 

BRSAがどのように民主化に協力しようとしているのか、何を民主主義と考えているのか、ビルマがどのような国になったら民主主義であると認めるのか、これらは難しい問題ですが、BRSAの政治的立場を考える上で避けて通ることはできません。また、難しくても、できるかぎり答えを出すように努めなくてはならない問題でもあります。なぜなら、その答えこそが、軍事政権が「民主化ロードマップ」と称する一連の欺瞞に満ちた過程の終着点として行おうとしている「総選挙」に対する反論となるからです。この選挙は民主的でもなく、またビルマをよい状況に変えもしない、というのが、BRSAを含むすべての民主化活動家の意見ですが、そればかりでなく、BRSA独自の観点からこの意見を強め、豊かにするのも必要だと考えています(もちろん、これはBRSAだけでなく、どの政治団体も、どの活動家も取り組むべきことです)。
 

わたしたちがビルマ軍事政権に対してBRSA固有のものとして提出できる最大の反論とはなんでしょうか。それは決して難しいものではありません。みなさんの目の届くところにあります。わたしたちの会の名前に含まれる「たすけあい」という一語が、それです。
 

ここでわたしの個人的な経験をお話ししましょう。
 

わたしはアフリカのある小国に幾度か滞在したことがあります。その国は民主主義国家であることを誇りにしており、お札にもそのことが記されていますが、それを信じている人にわたしは出会ったことはありません。人々のいうところによれば、大統領とその家族、そしてその取り巻きたちだけがすべてを支配してるとのことです。これらの有力者に反対する活動家やジャーナリストは投獄されるとも聞きました。この国はビルマのように戦争中ではないため、人々の命が脅かされる事態は稀ですが、ビルマよりはるかに資源に乏しいせいか非常に貧しい人が多く、また国自体が閉塞状態にあるため誰もが息苦しそうに生きているという印象を受けました。わたしは今年の6月にこの国に1ヶ月滞在したのち帰国し、あるカレン人女性の友人にたまたま旅行中の話をしました。そこで、わたしが「あの国では、人は家族以外互いに信用しないのです」というと、彼女は驚いた様子で言い返しました。「なに、それ、ビルマと一緒じゃない! そんな国あるの?」
 

次に、別のエピソードをお話ししましょう。ビルマとタイの国境で活動する著名な学生指導者が、日本に来たさい、政治集会でこんな話をしたそうです。「多くの日本人が旅行者としてタイにやってきますが、ひとつ感心させられた経験があります。日本人旅行者は旅先で同じ日本人旅行者と出会うと、たとえ相手のことを知らなくても仲良くなり、気が合えば一緒に旅行を続けたりするのです。こんなことはビルマ人の間では決して起こらないことです。わたしたちは日本人を見習って、互いを信頼するようにしなくてはなりません」
 

どうしてビルマ社会では他人を信用しないのか、それを説明するのは難しいです。ビルマ軍事政権のせいで、ビルマ国民の相互の信頼が破壊されたのだ、と考える人もいるかもしれませんが、人を信用しない社会だからこそ、あのような政権が生まれ、存続しているのだ、という逆の考えも可能です。また、民族や宗教の多様性にその原因を求める人もいるかもしれませんが、わたしはそれには反対です。先にお話ししたアフリカの小国は基本的にひとつの宗教、ひとつの民族しかいないのです。それにもかかわらず、ビルマと同じような社会状況となっています。わたしとしては、植民地時代の統治、いわゆる「Divide and Rule」に由来すると考えたい。アフリカの小国も長らく植民地支配下にありました。いずれにせよ、この問題に答えるには真剣な研究が必要です。
 

ですが、そうはいっても、少なくともひとつ明らかなことがあります。それは、このように人々が互いに信頼し合わない状態が、軍事政権にとっては得だということです。人々が自分の家族以外の誰も信頼せず、自分のことしか考えない社会、「他人を見たらスパイと思え」という考えが広まっていて他人にできるだけ近寄らない社会、このような社会で政府を本当に変えるような団結力と実効力を兼ね備えた国民運動が組織されるはずがありません。人々の間の信頼こそが社会を変えるのだ、ということを確信しているからこそ、先の学生指導者はあんなエピソードを日本の活動家たちに語ったのです。
 

ここで、BRSAの「たすけあい」について考えてみましょう。ビルマ語とは少し違うかもしれませんが、この言葉は人と人が互いに助け合うということを意味します。では、「互いに助け合う」ときに何が必要でしょうか。それはもちろん、相互の信頼です。互いに信頼する気持ちがあってはじめて、「たすけあい」が可能なのです。
 

ここで、ある矛盾に気がつく人がいるはずです。その人はわたしにこういうことでしょう。「ビルマ社会には相互の信頼がない、とあなたは書いたが、BRSAもまたビルマ社会の一部であるならば、やはり相互の信頼がないはずだ。そして、もしそうならば、相互の信頼が必要な『たすけあい』はできないはずだ。いっぽう、BRSAが『たすけあい』の活動をすでにしているのならば、BRSAにはすでに相互の信頼があるはずだ、そしてBRSAがビルマ社会の一部であるかぎり、ビルマ社会にもこの相互の信頼があることを認めなければならない。これはまったく矛盾ではないか!」
 

これは論理上の冗談に見えるかもしれませんが、真面目に答えるべき問題でもあります。なぜならBRSAの政治的立場はこうした問いを越えたところにあるからです。わたしたちは、ビルマ社会に相互の信頼があるから「たすけあい」ができる、ないからできない、という次元で活動しているわけではありません。そうではなくて、わたしたちはビルマ社会に相互の信頼が生まれ、深く深く根付くよう「たすけあい」の活動を行っているのです。
 

ですから、こう言い換えることもできます。BRSAの「たすけあい」の具体的な内容についてはすでに冒頭でお話ししましたが、わたしたちは日本にいるビルマの難民たちが困っているからという理由だけでこうした活動をしているのではありません。そればかりでなく、わたしたちの活動を通じて、ビルマの社会が「たすけあい」の活動で満ちあふれるようになってほしいから、ビルマの社会が人をたすけあう信頼で満ちた社会となってほしいから働いているのです。つまり、BRSAの活動そのものが、軍事政権に支配された社会を変えるための具体的なプログラムとなっているのです。
 

具体的な活動があるということは非常に重要なことです。ビルマのさまざまな団体は、しばしば団結を訴えますが、残念なことにその団結を生み出すための具体的なプログラムに関する提案がなされることは滅多にありません。その点BRSAは異なります。わたしたちはビルマを変えるには相互の信頼を育てること、また民族、宗教、生活背景などにとらわれない協力関係を築くことが重要であると知っています。そして、そのための具体的なプログラムこそが「たすけあい」なのです。
 

人と人が宗教や民族に関わりなく相互にたすけあう社会、これこそBRSAが思い描き、その実現のために働いているばかりでなく、具体的なプログラムによってすでに少しずつ実現している社会、人間関係といえます。そして、これが具体的な活動であるかぎり、その効果もやはり具体的なものです。つまり、わたしたちが「たすけあい」によって、人と人との関係に刺激を与え、何の関わりもないある人々を相互に助け合う存在に変える時、そこには相互の信頼が生まれ、そしてその信頼が生まれた分だけ、相互不信を養分として存続しているビルマ軍事政権はその土台を削り取られるのです。わたしたちが活動すればするだけ、軍事政権は弱体化するのです。もちろん、今のところはそれほど多くは望めません。ですが、もっとわたしたちがもっと真摯に取り組むようになれば、その効果はますます強く深くなっていくはずです。それはいつしか、軍事政権を根底から揺り動かす流れとなっていくでしょう。そのためには、BRSAはみなさんすべての力を必要としています。自分ではない誰かが民主化をもたらしてくれるのではありません、会員一人一人の「たすけあい」の活動が民主化をもたらすのです。そのような意味で、会員たちのみなさんがもっと「たすけあい」の活動に参加できるようなBRSAであるようにと思っています。(おわり)

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