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BRSAはネーミョージンさんの釈放を求めます!
  
  BRSAが捉えた  ネーミョージン,逮捕の瞬間
      
           連行されるネーミョージン

           法廷のネーミョージン

2014年1〜3月の活動報告
を掲載しました。

4月の予定
4月6日  ミンウーさんのための法要・月例会議
4月13日 ビルマ水掛け祭りに出店(日比谷公園)

2009年8月28日金曜日

衆院選に寄せて

ダズィンモーさんから選挙への思いを語る投稿をいただきました。
ありがとうございます。これを読んだら選挙に行きましょう!


今、日本で選挙が行われています。国民が自由に選択して、投票することができます。国民が政府に 支持するか、反対するか自由に決めることができます。人権が完全に守られているということでしょう。それを見るのは、羨ましくてたまりません。

その日本と比べて祖国ビルマのことを思い浮かべると、とてもつらく悲しくなります。政権を奪取した軍事政権の弾圧を国民が受けるようになっています。国民が自分達のための政府を自由に選ぶ機会もないし、自由に投票することもできないのです。軍事政権が自己の権力を安定させるために、国民の皆が支持し、期待している指導者スーチー氏にも軟禁、監禁など、いろんな方法を使って国民の前に姿を出せないよう圧迫を加えているのです。政権を保持するだけのため、そして自己の利益だけのため国民を弾圧し、残酷な行政をして、自らの権力に陶酔しているこの軍事政権のために、国民は生活が安定せず、生命さえ安全ではなくなって、国境へそして他国へとあらゆる方法で逃げ出すようになったのです。一方、国に残された国民も不公平とは分かっても武器で弾圧している軍事政権には対抗できないでしょう。

不公平だからといって、どれほどころがるように号泣しても、どんなに耐えて苦しんでも、今はどのようにも対抗できないのです。今の軍事政権に反対するには、自分の人生のすべてをかけ生命さえ捨てる覚悟が必要です。人間として生まれたからこそ、人間らしく、人権ぐらいは最低として必要だから、それを渇望するのは当然のことでしょう。

…………………………………

ダズィンモー

2009年8月24日月曜日

BRSAスペース開催

8月28日午後1時から3時半までの間、東京高田馬場にある新宿区立新宿消費生活センター分館(地図)の第3会議室にてBRSAスペースを開催いたします。

BRSAスペースでは、BRSA役員が常駐し、会員からの相談を受け付けます。また、会員でなくても、BRSAやビルマ難民について知りたい方もどうぞおいで下さい。

BRSAスペースは試験的に毎週1回、平日の午後に開催していく予定です。

国際支援NGO

8月24日午前、とある国際支援NGOよりご連絡をいただき、代表の方と、どのような協力が可能かについて協議しました(本会会長、副会長、事務局長)。とても大きなNGOで、活動も充実しているようにみうけられました。今後、BRSAに集うビルマ難民たちの視野が広がるような活動に結びつけることができればと思います。

夏のバス旅行の反省点

8月9日に行われた房総バス旅行の反省点(8月16日中央執行委員会、8月23日の執行委員会から)。

1)参加者が少なかった。大型バス1台で間に合う人数(54名)。

2)暑い盛りに手料理を振る舞うのは、衛生上問題がある。

3)人数が少なかったため、料理が大量に余った。

4)これは出発直前まで、正確な参加人数が把握できなかったことによる。

5)今回はとにかく誰が全体を把握しているのかが分からなかった。各部の連携強化を。また責任者を明確にする。

6)バスにBRSAのネームプレートがなく、別の会社の名前になっていた。

7)外で料理を配る際に、場所を貸してもらっていた海の家とトラブルになった。同じようなトラブルは正月のスキー旅行でもあった。昼食を持参することの可否を含めて論ずるべき。

8)バス車内で会長挨拶や自己紹介がなかった。

9)8888デモの翌日であったため、参加する人が少なかった。

10)参加数が少なかったのは、口約束で参加表明した人も数に入れていたから。実際にチケットを買った人だけを数えるべき。

11)頼みにしていた参加者グループの中心人物が急に収容されるなど、予見できない要素もあった。

12)バスの中のビンゴゲームでお金をかけることは厳禁。

13)今回は海水浴場選びが難航した。条件に合う海水浴場を調べても、実際には行かなければ分からないところもある。ビーチの広さの点では昨年の大洗海岸のほうがよかった。フラティントゥン、マウン・ゾウトゥン、フラミョー各役員が、2日前に実際に海水浴場にまで足を運んでくれたおかげで、今回は上手くいった。

14)2台のバスで90名という人数を受け入れることのできる海水浴場は多くない。バス1台分に限定すべきか。

執行委員会報告

8月23日巣鴨にて執行委員会が行われ、約18名の役員と会員が出席しました。
議題となった主な項目は以下の通りです。

1)品川に収容された役員への支援と、職務の代理について。

2)バス旅行のふりかえり。会計報告は未提出。今回の反省点は記録に残して次回に行かすこと。

3)バス旅行の収益が少なく、また秋のダディンジュ祭も中止の可能性が高く、収益はさらに期待できない。予算の見直し。

4)今回のバス旅行の準備では組織の力を十分に発揮することができなかった。各役員の協力関係を見直す。

5)会の現況報告
会員数374名。
先月より23名増加。
全会員のうち連絡の取れない者が72名。→連絡を取り、継続か脱会かの意思確認。
会費の納入率は5割程度か。→早急にはっきりさせること。

6)初回の会費納入をこれまでの一ヶ月分+500円(メンバーカード代)=1500円から、3500円(3ヶ月分+500円)に変更。はじめの月の会費だけ支払って、メンバーカードをもらい、その後活動に参加しない人がいるため。

7)牛久収容者の3人の支援器要請に関して。

8)毎週1回どこかの会場を借りて、会員の相談受付、事務作業などに当てる。

9)毎月1回日曜日に新入会員に対するオリエンテーリングを実施する(副会長担当)。

10)ビルマ難民入門講座の準備。

ビルマ国籍者収容状況

ビルマ国籍者収容状況を更新いたしました。近頃増加気味です。また収容も長期化の様相です。収容者の中にはBRSAの会員も多く含まれています。

東日本入国管理センター(牛久)
女性3名
男性15名

東京入国管理センター(品川)
男性 少なくとも32名
女性 少なくとも13名

2009年8月23日現在

2009年8月19日水曜日

21回目の8888に寄せて〜永遠に片付きはしない

会員のダズィンモーさんより8888民主化運動21周年に寄せた感動的な文章をいただきました。8月8日にあわせていただいたのですが、遅れてしまい申し訳ありません。若干の日本語を訂正したほかは、ほぼそのまま掲載させていただきます。

1988年8月8日(21周年記念日)

ビルマは独立を果たしたあと、平和な時代が来ました。平和的にあらゆる方面から発展するように、間違いをおかすことなく努カした総理大臣ウー・ヌの時代です。みんな平等で、なんの心配もなしに暮らすことができました。

その平和な時代が壊れ始めたのは1962年3月2日、ネーウィン将軍による国家評議会が政権をとるようになった時代からです。1962年、政権を奪取した後に、大きな工場とか、富裕者たちの所有している物、工場、家、土地、建物などを「国有財産」と名付けて、不正に奪いとってしまいました。奪いとられた人達は、余りのショックに気が狂いそうになったそうです。ネーウィンの行政は、このように国民の涙、国民の生活が崩れることで始まったのです。
 
ネーウィンの悪政はそれだけにはとどまりませんでした。学生たちが、公正な行政、真実を望んで平和運動を行っていましたが、そんな学生達を、治安軍隊を出動させて残酷に殺したり(1962年7月7日の事件)、学生連合の建物を地雷で破壊したりして、大学生たちを酷く圧迫したのです。そして、国の発展のためには欠かせない主要な研究所にいる学識がある人たちを圧迫し、それに抗議する知識人を逮捕して、刑務所に入れてしまいました。そんな政府のやり方を受け容れられない国民たちはあらゆる方法で国外へ逃れるようになっていきました。国内に残った国民には武力で弾圧して統治しました。

一つの国の一番大切なものが教育です。教育が進歩すると国民の道徳、社会制度、医療など各方面が進歩していくのです。国の一番主要で基本的な教育を破壊してしまったことで、現在は最悪な状態になってしまいました。

ネーウィン将軍の国家評議会が政権を奪取した1962年から26年間、彼は国の財政や天然資源などを自分たちのグループのために利用したのです。一方国民に対しては弾圧して統治しました。榷威をふるう軍隊幹部たちは、自己の利益を図るだけでした。ビルマの金銭を、世界中のどこの国の金銭とも交換可能にするために世界銀行に預けてある金塊を我がものとしたために、今ビルマの国内に流通している金銭は国際的には通用しない、ただの色を塗った紙くずになってしまったのです。

26年間、長期にわたって軍に管理された社会、経済、医療、教育各方面は悪化していきました。様々な方法で弾圧されていた国民たちの不満や怒りは抑えきれない状態まで高まっていて、工科大学生達と文理科大学生達が先頭にたって学生運動が始まりました。この学生運動に対する弾圧は酷いものでした。1988年3月16日に象徴的な事件が起きました。大学の近くにある「白い橋」で治安軍隊が学生達に攻撃をしました。学生達の多くが殺され、その「白い橋」は犠牲者の学生達の血で、まっ赤に染まり、この後は「赤い橋」と呼ばれるようになったのです。それからも、弾圧はさらに続き、真実の民主主義を要求する平和的なデモの一番前から順番に平和運動の学生たちを捕え、殺すなど状況はとても悪くなっていきました。

そして、最悪の警告がネーウィン自身の声でテレビから流れてきました。それは私の胸のなかを今でも忘れられないほど苦しめる演説でした。「国民が集まって、集団で、騒いだら、もう今度は銃を上に向けて発砲しませんよ、次は前へまっすぐあなた達の胸に向けて発砲します。」国の最高指導者は、国民を自分の奴隷のように考え、武器を頼りに暴力で従わせようとしているのです。

1988年8月8日 最も大きい民衆運動、大規模デモ

1962年から始まった運動の波は潔白な学生たちが殺されたことでより大きくなりました。辛抱しきれない国民、僧侶、学生たちが民主化を要求し、ビルマ最大の民主運動8888運動が起きたのです。1988年8月8日の記念すべき最も大きい民衆運動、大規模デモでした。このデモは無垢な学生達、国民たちのたくさんの生命を犠牲にして終わりました。ネーウィンの行政は、この1988年の民衆運動が終わるまで、話しきれないほどの酷い卑怯なやり方でいっぱいでした。

ネーウィン将軍の配下の軍隊が、ネーウィン将軍にとって代わって国の権力を掌握して、ネーウィンの26年間の独裁政治が終わり、軍閥政治へと変わって現在に至っています。しかし、弾圧の政治は続き、学生、僧侶たちの運動は血が流れるようになり、デモは静かになっていきました。しかし、表面では終わったように見えますが、彼らの心の中の叫びは終わっていないのです。

同じミャンマー国民なのに、一方は武器をとり片方はそれに苦しんでいます。日ごとに国民の生活は苦しくなってきています。私はとても悲しく思います。

国民はこわがり、心配しています。貧しい生活は良くなりません。国民の正当な榷利の要求に対して政府は何も答えてくれません。まして、そのような運動に対して弾圧を加えようとするのはもうそろそろ止めるべきではないでしょうか。

国のために尊い命を捧げた、私の先輩である学生や僧侶の皆さまのために、この日を忘れてはならないし、あの人たちに代わって私なりにできるだけ―生懸命やろうと思っています。

真実の民主化のため生命を犠牲にした兄弟学生達の皆さまにこの文章で謹んで敬意を表します。もう21周年になりましたが、国民の皆さまと私の胸の中にどうしても抜き取れない苦しい悲しみがあったことを忘れたくないのです。私なりにできるだけ―生懸命やろうと決意します。

真実の民主化のため、生命を犠牲にした兄弟学生たち、国民たちとともに、人生をかけて投獄されて、弾圧されている政治犯兄弟たちにこの文章で謹んで敬意を表します。

特に、私の人生の中で、1988年のビルマ最大の民主化運動の出来事は一生忘れないでしょう。その1988年大規模デモで私の先輩である学生達、私の友達が殺されたこと、そして私自身も目撃した学生達を残酷に殴り殺していたことなど、全てをどのようにも忘れないのです。私達がその時に皆で唄った一つの歌がありました。皆もその歌を忘れないと思います。私も今までその歌を唄うたびに、涙が止まらないのです。

Kabar Ma Kyay Bu

永遠に片付きはしない


私達の血で記録した歴史

革命


民主闘争のまっただ中で戦死した


ホー、勇士皆、全員


志士達が住んでいる国


勇猛な我々ビルマ国民達


コダォマィン 歴史も野蛮になりましたよ 祖父


タキンアウンサン 国も血で汚れるようになったよ 父親

ホー、平気でやっているでしょう

道路の上に国民の死体


積み重なって崩れてゆきます


兄弟姉妹たち


道路の上、流れた血がまだ乾かない


思い迷わないで


民主闘争のまっただ中で戦死した


ホー、勇士皆全員みたいに


独裁者達に(向って)革命運動します


愛国心のある我々志士達


永遠に片付きはしない


。。。。。。。。。。。。。。。。

ダズィンモー

中央執行委員会

8月16日中央執行委員会が巣鴨で開かれました。主な議題は次の通り。

1)バス旅行の振り返り
楽しかった。
人数が少なかった。料理が余った。
準備の段階で責任者がはっきりしていなかった。そのため参加者の把握ができず、結果として少なくなってしまった。

2)事務局と各部の連携が取れていない問題について。

など。

2009年8月9日房総バスツアー報告

2009年8月9日、つまり、8888デモの翌日、BRSAは房総を巡るバスツアーを行いました。

今回の参加者は54名。2台の大型バスにはやや少なめの参加者でしたが、それでも十分楽しい小旅行でした。

朝7時に巣鴨を出発し、途中海ほたるで休憩。すると、別のビルマ人の乗ったバスに遭遇。やはり海水浴に行くとのことでした。

9時半には鋸山の日本寺に到着。大仏さまを前に思い思いにお祈りしたり、写真を撮ったりしました。集合写真

大仏さまの脇のベンチを利用して、ビルマ仏教式のお供えの台を設けます。果物を中央に置き、両脇には花が飾られています。

これは、軍事政権の迫害により倒れた民主化活動家たちへの追悼のお祈りを捧げるためのもの。参加者一同ひざまずき、手を合わせてお祈りを唱えました。


日本寺を出て、勝浦市の守谷海水浴場に向かいます。12時前に到着し、早速役員・会員たちが徹夜で作った昼食(鶏肉のカレー、豆のスープ)が振る舞われました。


昼食後は海水浴タイム。みんな思う存分海を満喫しました。


5時に海水浴場を出発し、途中再び海ほたるで休憩・買い物。巣鴨に到着したのは夜の9時過ぎでした。みなさんお疲れさまでした!

バス旅行の様子は次の①〜⑩をクリックしてご覧ください(BRSAアーカイブズにリンクしています)。

         

        
(各5枚ずつ写真があります)

2009年8888デモ に参加!

2009年8月8日、21年目の8888民主化運動記念デモにBRSAも参加いたしました。当日は1200人ものビルマ民主化活動家が集い、五反田からビルマ大使館近くの公園まで行進しました。

デモの様子は次の①〜⑩をクリックしてご覧ください(BRSAアーカイブズにリンクしています)。

          

        

(各5枚ずつ写真があります)

BRSAアーカイブズ

BRSAアーカイブズという名で新たなサイトを立ち上げました。BRSAアーカイブズにはこれまでBRSAブログで発信してきた文書・記事や写真記録がまとめてあります。

また、第2回総会資料なども閲覧することができます。