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2009年8月28日金曜日

衆院選に寄せて

ダズィンモーさんから選挙への思いを語る投稿をいただきました。
ありがとうございます。これを読んだら選挙に行きましょう!


今、日本で選挙が行われています。国民が自由に選択して、投票することができます。国民が政府に 支持するか、反対するか自由に決めることができます。人権が完全に守られているということでしょう。それを見るのは、羨ましくてたまりません。

その日本と比べて祖国ビルマのことを思い浮かべると、とてもつらく悲しくなります。政権を奪取した軍事政権の弾圧を国民が受けるようになっています。国民が自分達のための政府を自由に選ぶ機会もないし、自由に投票することもできないのです。軍事政権が自己の権力を安定させるために、国民の皆が支持し、期待している指導者スーチー氏にも軟禁、監禁など、いろんな方法を使って国民の前に姿を出せないよう圧迫を加えているのです。政権を保持するだけのため、そして自己の利益だけのため国民を弾圧し、残酷な行政をして、自らの権力に陶酔しているこの軍事政権のために、国民は生活が安定せず、生命さえ安全ではなくなって、国境へそして他国へとあらゆる方法で逃げ出すようになったのです。一方、国に残された国民も不公平とは分かっても武器で弾圧している軍事政権には対抗できないでしょう。

不公平だからといって、どれほどころがるように号泣しても、どんなに耐えて苦しんでも、今はどのようにも対抗できないのです。今の軍事政権に反対するには、自分の人生のすべてをかけ生命さえ捨てる覚悟が必要です。人間として生まれたからこそ、人間らしく、人権ぐらいは最低として必要だから、それを渇望するのは当然のことでしょう。

…………………………………

ダズィンモー

2009年8月19日水曜日

21回目の8888に寄せて〜永遠に片付きはしない

会員のダズィンモーさんより8888民主化運動21周年に寄せた感動的な文章をいただきました。8月8日にあわせていただいたのですが、遅れてしまい申し訳ありません。若干の日本語を訂正したほかは、ほぼそのまま掲載させていただきます。

1988年8月8日(21周年記念日)

ビルマは独立を果たしたあと、平和な時代が来ました。平和的にあらゆる方面から発展するように、間違いをおかすことなく努カした総理大臣ウー・ヌの時代です。みんな平等で、なんの心配もなしに暮らすことができました。

その平和な時代が壊れ始めたのは1962年3月2日、ネーウィン将軍による国家評議会が政権をとるようになった時代からです。1962年、政権を奪取した後に、大きな工場とか、富裕者たちの所有している物、工場、家、土地、建物などを「国有財産」と名付けて、不正に奪いとってしまいました。奪いとられた人達は、余りのショックに気が狂いそうになったそうです。ネーウィンの行政は、このように国民の涙、国民の生活が崩れることで始まったのです。
 
ネーウィンの悪政はそれだけにはとどまりませんでした。学生たちが、公正な行政、真実を望んで平和運動を行っていましたが、そんな学生達を、治安軍隊を出動させて残酷に殺したり(1962年7月7日の事件)、学生連合の建物を地雷で破壊したりして、大学生たちを酷く圧迫したのです。そして、国の発展のためには欠かせない主要な研究所にいる学識がある人たちを圧迫し、それに抗議する知識人を逮捕して、刑務所に入れてしまいました。そんな政府のやり方を受け容れられない国民たちはあらゆる方法で国外へ逃れるようになっていきました。国内に残った国民には武力で弾圧して統治しました。

一つの国の一番大切なものが教育です。教育が進歩すると国民の道徳、社会制度、医療など各方面が進歩していくのです。国の一番主要で基本的な教育を破壊してしまったことで、現在は最悪な状態になってしまいました。

ネーウィン将軍の国家評議会が政権を奪取した1962年から26年間、彼は国の財政や天然資源などを自分たちのグループのために利用したのです。一方国民に対しては弾圧して統治しました。榷威をふるう軍隊幹部たちは、自己の利益を図るだけでした。ビルマの金銭を、世界中のどこの国の金銭とも交換可能にするために世界銀行に預けてある金塊を我がものとしたために、今ビルマの国内に流通している金銭は国際的には通用しない、ただの色を塗った紙くずになってしまったのです。

26年間、長期にわたって軍に管理された社会、経済、医療、教育各方面は悪化していきました。様々な方法で弾圧されていた国民たちの不満や怒りは抑えきれない状態まで高まっていて、工科大学生達と文理科大学生達が先頭にたって学生運動が始まりました。この学生運動に対する弾圧は酷いものでした。1988年3月16日に象徴的な事件が起きました。大学の近くにある「白い橋」で治安軍隊が学生達に攻撃をしました。学生達の多くが殺され、その「白い橋」は犠牲者の学生達の血で、まっ赤に染まり、この後は「赤い橋」と呼ばれるようになったのです。それからも、弾圧はさらに続き、真実の民主主義を要求する平和的なデモの一番前から順番に平和運動の学生たちを捕え、殺すなど状況はとても悪くなっていきました。

そして、最悪の警告がネーウィン自身の声でテレビから流れてきました。それは私の胸のなかを今でも忘れられないほど苦しめる演説でした。「国民が集まって、集団で、騒いだら、もう今度は銃を上に向けて発砲しませんよ、次は前へまっすぐあなた達の胸に向けて発砲します。」国の最高指導者は、国民を自分の奴隷のように考え、武器を頼りに暴力で従わせようとしているのです。

1988年8月8日 最も大きい民衆運動、大規模デモ

1962年から始まった運動の波は潔白な学生たちが殺されたことでより大きくなりました。辛抱しきれない国民、僧侶、学生たちが民主化を要求し、ビルマ最大の民主運動8888運動が起きたのです。1988年8月8日の記念すべき最も大きい民衆運動、大規模デモでした。このデモは無垢な学生達、国民たちのたくさんの生命を犠牲にして終わりました。ネーウィンの行政は、この1988年の民衆運動が終わるまで、話しきれないほどの酷い卑怯なやり方でいっぱいでした。

ネーウィン将軍の配下の軍隊が、ネーウィン将軍にとって代わって国の権力を掌握して、ネーウィンの26年間の独裁政治が終わり、軍閥政治へと変わって現在に至っています。しかし、弾圧の政治は続き、学生、僧侶たちの運動は血が流れるようになり、デモは静かになっていきました。しかし、表面では終わったように見えますが、彼らの心の中の叫びは終わっていないのです。

同じミャンマー国民なのに、一方は武器をとり片方はそれに苦しんでいます。日ごとに国民の生活は苦しくなってきています。私はとても悲しく思います。

国民はこわがり、心配しています。貧しい生活は良くなりません。国民の正当な榷利の要求に対して政府は何も答えてくれません。まして、そのような運動に対して弾圧を加えようとするのはもうそろそろ止めるべきではないでしょうか。

国のために尊い命を捧げた、私の先輩である学生や僧侶の皆さまのために、この日を忘れてはならないし、あの人たちに代わって私なりにできるだけ―生懸命やろうと思っています。

真実の民主化のため生命を犠牲にした兄弟学生達の皆さまにこの文章で謹んで敬意を表します。もう21周年になりましたが、国民の皆さまと私の胸の中にどうしても抜き取れない苦しい悲しみがあったことを忘れたくないのです。私なりにできるだけ―生懸命やろうと決意します。

真実の民主化のため、生命を犠牲にした兄弟学生たち、国民たちとともに、人生をかけて投獄されて、弾圧されている政治犯兄弟たちにこの文章で謹んで敬意を表します。

特に、私の人生の中で、1988年のビルマ最大の民主化運動の出来事は一生忘れないでしょう。その1988年大規模デモで私の先輩である学生達、私の友達が殺されたこと、そして私自身も目撃した学生達を残酷に殴り殺していたことなど、全てをどのようにも忘れないのです。私達がその時に皆で唄った一つの歌がありました。皆もその歌を忘れないと思います。私も今までその歌を唄うたびに、涙が止まらないのです。

Kabar Ma Kyay Bu

永遠に片付きはしない


私達の血で記録した歴史

革命


民主闘争のまっただ中で戦死した


ホー、勇士皆、全員


志士達が住んでいる国


勇猛な我々ビルマ国民達


コダォマィン 歴史も野蛮になりましたよ 祖父


タキンアウンサン 国も血で汚れるようになったよ 父親

ホー、平気でやっているでしょう

道路の上に国民の死体


積み重なって崩れてゆきます


兄弟姉妹たち


道路の上、流れた血がまだ乾かない


思い迷わないで


民主闘争のまっただ中で戦死した


ホー、勇士皆全員みたいに


独裁者達に(向って)革命運動します


愛国心のある我々志士達


永遠に片付きはしない


。。。。。。。。。。。。。。。。

ダズィンモー

2009年7月29日水曜日

ティンウィン(東京)さんの詩

会員のティンウィン(東京)さんから「希望の花」と題した詩をいただきました。この詩の中の祈りを水とする比喩からは、日本でもかつて日蓮が信仰を水に喩えたことがあるのが思い出されます。


希望の花
公園の花壇に

色とりどりの花が 咲いている

誰かが 種を まき

誰かが 水を あげるから

赤や青、黄色や緑

水を もらって お花達は 嬉しそう

それを 見る 大人も 子供も 嬉しそう

やがて 誰かが 花壇を こわし

水を もらえない 花達は 枯れてゆく

私達の 花は スーチー氏

スーチー氏が 笑うと 私達も嬉しい

スーチー氏の 花は 私達

私達が 笑うと スーチー氏も嬉しい

やがて 誰かが スーチー氏を連れ去り

スーチー氏の 姿が 見えない私達は 悲しんでいる

哀しむ 私達を見て スーチー氏は 枯れてゆく


皆で 笑顔を 取り戻そう

私達が 笑うと スーチー氏は嬉しい

スーチー氏が 笑うと 私達は喜ぶ


心の中に 祈りという 水を 持とう


世界の すべて


遠い 遠い 果てまで 願い声が届くよう


私達の


祈りと 笑顔という 水は


スーチー氏に 届くだろう


そして また


大きな花が 咲くだろう


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

ティン ウィン(東京)

2009年7月18日土曜日

ビルマ殉難者の日

第62回のビルマ殉難者の日にあたり、
会員のティンウィン(東京)さんが寄稿をしてくださいました。ありがとうございます。


2009年7月19日は
62周年の烈士日(ビルマ殉難者の日)です。


1947年7月19日にビルマ独立の父親アウンサン将軍とともに6名の指導者たちが暗殺されてしまったのです。祖国ビルマのため生命まで犠牲にしたアウンサン将軍と、指導者の皆様に哀悼を込めてこの原稿で表彰の意を表します。

私たちが子供のころから毎年この日、時計が午前10時37分を指すと、ラジオから聞こえてくる汽笛を鳴らす音とともに、戦死した指導者の方々に謹んで冥福をお祈りしていたのは1990年ころまででした。

現在は、独立のため生命まで犠牲にした愛国指導者の皆様に敬意を表す追悼会と汽笛を鳴らす機会は失われてしまったのです。それだけでなく子供たちの教育のための教科課程からもこのことが削除されてしまったのは最悪のことです。ミャンマー独立と愛国の歴史をなかったことにしようとしているのは明らかです。

ミャンマー独立の父アウンサン将軍が結成し、国民の生命財産の安全と安心を守ってくださった国軍、そしてこれに対し、現在の軍事政権の身内のグループだけが繁栄し、それに反対する国民と僧伽を殺している軍隊は非常に異なっています。独立と愛国の歴史を消すのは彼等軍事政権のためには都合いいかも知れませんが 次代の人々、未来の指導者を育てあげることはできません。

ネーウィン将軍による国家評議会が政権をとるようになった1962年代から政府は、豊富な天然資源、国の財政、それにもまして大切な教育までも打算的に利用して、現在は国民の生活のレベルやさまざまな保険制度まで悪化しているのは 国際的にみても明らかなことです。

ネーウィン時代から始まって、今ふたたび強固になった軍事政権の軍隊は、世界の仏教国の中でも 特にすぐれている僧侶まで捕えて殺すようになってしまいました。私を含めたミャンマー国民の皆さんの心の中を苦しめているのは、いつもこのことです。

亡きアウンサン将軍は、国民と僧侶みんなに愛され、そしてミャンマーの国と国民のために犠牲になったことが世界的に認めれているのは歴史的に明らかです。

お父さんのように国民みんなに信頼され、そして世界が認める平和の指導者アウンサンスーチーさんによってミャンマー連邦の将来が順風満帆で豊かなもの、平穏なものとなるよう強く願望しております。

戦死した指導者の皆様には、敬慕しつつ、また悲しみとともに謹んで冥福をお祈りします。   

ティンウィン(東京)

2009年7月10日金曜日

ビルマの母親、スーチーさん

会員のペンネームWin (Tokyo)さんから、アウンサンスーチーさんを主題とした日本人への力強いメッセージをいただきました。

ビルマ語の原文を、別のビルマの方が日本語に翻訳したとのことで、必ずしも完璧な日本語ではありませんが、読んで分からないというほどでもないので、ほとんどそのまま掲載させていただきます。

Win (Tokyo)さんからは別の記事もいただいていますが、それはまた来週にでも掲載させていただきます。どうもありがとうございました。

((((((((((((以下Win (Tokyo)さんの投稿)))))))))))))

輝いている私たちの指導者
力強い ビルマの母親



1988年、お母さんの面倒を見るため帰国した(独立の父アウンサン将軍の娘)アウンサンスーチー氏は、お父さんのように勇敢で、聡明だから国民皆の信頼と愛情を受け1990年5月選挙では国民の82%という支持を貰って勝利を得るようになって、国民の愛される指導者になりました。

スーチー氏の人生は以前は心配なくて充分な人生でした。世界レベル学識者でもあるし、暖かくて楽しい家族もありました。そんな十分な人生全てを放棄して、無法の行政で、不公平に酷く圧迫されている出生地ビルマの苦しんでいる国民皆のため、スーチー氏は人生をかけて、国民皆の前から堂々と、勇気をもって指導しました。命を気に掛けない、人生を放棄する、皆のため犠牲して、人殺す武器が囲まれている中からも、平和で向き合ったビルマの平和の指導者です。

古くて朽ちている年取った家の中で、周りと連絡を切って、閉じ込まれている年は少なからずのことでした。

独裁軍事政権の期間20年の間14年間ぐらい自宅軟禁という不公平に抑制されること。

そして、息子二人と別れているだけでなく、1999年主人の癌で死ぬ前の最期の時に会うことを否定した 軍事政権の卑怯なこと。

自分の主人と最期の会う機会をはっきりと放棄してビルマの国民の方から立場にすること。

自宅軟禁から自由になった少しだけの間でも町、地方へ団結するために出かけた時軍事政権の妨害に会い追われたこと。

2003年5月30日ディペイン暗殺未遂事件で軍事政権が冷酷無残なやり方を使ったこと。

再び軍事政権が陰謀を図って刑務所に入れようと していること。

今は、スーチー氏のため心配してビルマの国民皆が涙を流すようになりました。

スーチー氏を自由になるように祈る声も世界中にも広がっています。

そんな出来事全てを女一人なのに勇気と沈着さをもって今でも軍事政権に向き合っているのは、自分のためではなかったことを世界中が知っています。烈士らしく人生全てを放棄している女であるスーチー氏を完全武装している軍人40万以上で結成した軍事政権は震えて怯えているのはなぜですか。

平和の母アウンサンスーチー氏には他の何処にも見られないような国民皆さんの信頼と愛の力が見当づけないほど、非常に大勢力をもっているからです。

貧しい国民たちの憂いと苦しみを斥けることができるのです。

ビルマ国民の美しい未来を作ることができます。

泣いている顔を笑わせることができます。

1962年からだんだんと崩壊してきたビルマを全て良く発展する民主国家になるようにできる人でもあります。

ビルマの光であるし、皆の希望でもあるし、皆の指導者でもある国民が頼りになる人、平和の母親です。

世紀の歴史で明らかに現れた国民皆の志士母スーチー氏をどうあっても失うことはいけないのです。

スーチー氏をビルマ国民だけなく世界からも信頼と尊敬されて承認されています。人殺す武器と、卑怯な陰謀を競争し続けました。平和の旗を立て、勇敢で指導した力強いビルマ国民皆の母親でもあります。

最後として、語って聞かせたいのは、そんなに残酷な軍事政権にはできるだけ対抗し続けると誓うことです。
•••••••••

誓い

たとえ 世界が 失く なっても

たとえ 歴史が 失く なっても
私は 忘れない
私達の 人生のすべて
命をかけて 戦ってきた人達がいたことを
そして 皆の

笑顔の溢れる

平和な生活を 目指して

彼らの後に続いて

私達も 戦い続けます

たとえ 実際に

(平和の母スーチー氏)に 会えなくとも

たとえ 実際に

母スーチー氏の声が 聞こえなくとも

私には 聞こえる

私の心の中に 母スーチー氏の声が

話しかけて くるのを

それは

私と母スーチー氏の願いが 同じだから

そして

国民皆の願いも 一つだから

このことは やがて

大きな 実に なるでしょう

絶対に

平和という

大きな 実に なるでしょう

•••••••••


私たちが望んでいるのは、アメリカや ヨーロッパや日本などの国々がミャンマーの軍事政権に圧力をかけて母スーチー氏が一日も早く解放されて、国民皆安全、安心に暮らすことできるように、進歩する民主国設立するためアウンサンスーチー氏と対話することです。そして、スーチー氏は私たちの前に元気な姿を見せてほしいということです。そうすれば国民はふたたび希望を持ち、民主化の実現のため努力できるでしょう。

私たちビルマの国民は軍事政権の不当な統治で辛く苦しんでいることを一人でも多くの人にわかってほしいのです。

日本の皆様にお願いします。私たちの思いを、あなた達のまわりにいる皆様に伝えてください。皆様のご協力よろしくお願いいたします。
Win (Tokyo)