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BRSAはネーミョージンさんの釈放を求めます!
  
  BRSAが捉えた  ネーミョージン,逮捕の瞬間
      
           連行されるネーミョージン

           法廷のネーミョージン

2014年1〜3月の活動報告
を掲載しました。

4月の予定
4月6日  ミンウーさんのための法要・月例会議
4月13日 ビルマ水掛け祭りに出店(日比谷公園)

2009年7月29日水曜日

ティンウィン(東京)さんの詩

会員のティンウィン(東京)さんから「希望の花」と題した詩をいただきました。この詩の中の祈りを水とする比喩からは、日本でもかつて日蓮が信仰を水に喩えたことがあるのが思い出されます。


希望の花
公園の花壇に

色とりどりの花が 咲いている

誰かが 種を まき

誰かが 水を あげるから

赤や青、黄色や緑

水を もらって お花達は 嬉しそう

それを 見る 大人も 子供も 嬉しそう

やがて 誰かが 花壇を こわし

水を もらえない 花達は 枯れてゆく

私達の 花は スーチー氏

スーチー氏が 笑うと 私達も嬉しい

スーチー氏の 花は 私達

私達が 笑うと スーチー氏も嬉しい

やがて 誰かが スーチー氏を連れ去り

スーチー氏の 姿が 見えない私達は 悲しんでいる

哀しむ 私達を見て スーチー氏は 枯れてゆく


皆で 笑顔を 取り戻そう

私達が 笑うと スーチー氏は嬉しい

スーチー氏が 笑うと 私達は喜ぶ


心の中に 祈りという 水を 持とう


世界の すべて


遠い 遠い 果てまで 願い声が届くよう


私達の


祈りと 笑顔という 水は


スーチー氏に 届くだろう


そして また


大きな花が 咲くだろう


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

ティン ウィン(東京)

7月の執行委員会

7月26日、執行委員会が巣鴨にて行われ、BRSAセミナーの反省、執行委員会のあり方、新プログラムなどが討議されました。


2009年7月18日土曜日

ビルマ殉難者の日

第62回のビルマ殉難者の日にあたり、
会員のティンウィン(東京)さんが寄稿をしてくださいました。ありがとうございます。


2009年7月19日は
62周年の烈士日(ビルマ殉難者の日)です。


1947年7月19日にビルマ独立の父親アウンサン将軍とともに6名の指導者たちが暗殺されてしまったのです。祖国ビルマのため生命まで犠牲にしたアウンサン将軍と、指導者の皆様に哀悼を込めてこの原稿で表彰の意を表します。

私たちが子供のころから毎年この日、時計が午前10時37分を指すと、ラジオから聞こえてくる汽笛を鳴らす音とともに、戦死した指導者の方々に謹んで冥福をお祈りしていたのは1990年ころまででした。

現在は、独立のため生命まで犠牲にした愛国指導者の皆様に敬意を表す追悼会と汽笛を鳴らす機会は失われてしまったのです。それだけでなく子供たちの教育のための教科課程からもこのことが削除されてしまったのは最悪のことです。ミャンマー独立と愛国の歴史をなかったことにしようとしているのは明らかです。

ミャンマー独立の父アウンサン将軍が結成し、国民の生命財産の安全と安心を守ってくださった国軍、そしてこれに対し、現在の軍事政権の身内のグループだけが繁栄し、それに反対する国民と僧伽を殺している軍隊は非常に異なっています。独立と愛国の歴史を消すのは彼等軍事政権のためには都合いいかも知れませんが 次代の人々、未来の指導者を育てあげることはできません。

ネーウィン将軍による国家評議会が政権をとるようになった1962年代から政府は、豊富な天然資源、国の財政、それにもまして大切な教育までも打算的に利用して、現在は国民の生活のレベルやさまざまな保険制度まで悪化しているのは 国際的にみても明らかなことです。

ネーウィン時代から始まって、今ふたたび強固になった軍事政権の軍隊は、世界の仏教国の中でも 特にすぐれている僧侶まで捕えて殺すようになってしまいました。私を含めたミャンマー国民の皆さんの心の中を苦しめているのは、いつもこのことです。

亡きアウンサン将軍は、国民と僧侶みんなに愛され、そしてミャンマーの国と国民のために犠牲になったことが世界的に認めれているのは歴史的に明らかです。

お父さんのように国民みんなに信頼され、そして世界が認める平和の指導者アウンサンスーチーさんによってミャンマー連邦の将来が順風満帆で豊かなもの、平穏なものとなるよう強く願望しております。

戦死した指導者の皆様には、敬慕しつつ、また悲しみとともに謹んで冥福をお祈りします。   

ティンウィン(東京)

2009年7月15日水曜日

第2回BRSAセミナーの写真





質疑応答の様子

第2回BRSAセミナーのご報告

第2回BRSAセミナーが7月12日午後1時30分から5時にかけて巣鴨地域文化創造館多目的ホールで開催されました。

参加者の数は約70名前後でした。

いわゆる「在留カード」の問題、在留特別許可の新ガイドラインといったタイムリーな話題から、日本の難民政策の分析とビルマ難民へのアドバイス、さらにはビルマ難民の歯の健康にいたるまで、非常に充実した内容となりました。

セミナーの主な内容は次の通りです(司会:フラティントゥンさん・事務局長)。セミナーの間中、通訳をしてくださったミャテインさんにはこころから感謝申し上げます。

1)大瀧会長挨拶。

2)西田敦先生(本会顧問)が、「4日前法律が変わった! 仮放免中の難民申請者はどうなる?」と題して、新しい入管難民法と住民基本台帳法について解説を行い、この問題に関するこれまでの本会の取り組みを紹介しました。

2)メイン講演。 講師 ウー・シュエバ・田辺寿夫
今回の講演では田辺先生にビルマ語で語っていただきました。日本社会がどうして難民を受け入れないか、そして日本社会が難民を受け入れるようになるためにはどうしたらよいか、BRSAのメンバーはどうしたらよいのかという問題に関して深いご指摘をいただきました。

田辺寿夫先生と通訳のミャテインさん

以下はその内容の要約です(文責・熊切)。

①日本の難民政策・・・外国からの圧力によってイヤイヤ難民を受け入れてきた。その背景には、江戸時代の鎖国があり、そのため、日本は外国人を容易に受け入れない国となってしまった。

②日本人のアジア人に対する2つの態度。

ひとつは「脱亜入欧」という言葉に代表されるように、自らをアジア人とみなさず、アジア人を軽蔑する態度。これは日本のアジア各国の植民地化に結びつき、ビルマ人に「ファシスト」と呼ばれるまでになった。

もうひとつは、同じアジア人として助け合おうという態度。こうした仲間意識も古くからあった。

③BRSAを含むビルマ難民は、日本人に積極的に話しかけ、ビルマのこと、自分のことを伝えなくてはならない。そうすれば、まず日本人の難民に対する理解が変わり、難民にとって住み良い社会へと変わる。さらに、日本人がビルマの問題をよく理解すれば、それがビルマの変化にも通じる。

そのためには、ビルマ難民は日本のこと、日本語を一生懸命勉強する必要がある。

3)大川秀史弁護士(本会顧問)より、2日前に発表されたばかりの「在留特別許可の新ガイドライン」について説明とコメントをいただきました。急なお願いにもかかわらず、お話しくださった先生に感謝申し上げます。

大川先生

4)副会長、事務局長、各部長による活動報告。

タイ・ビルマ国境の難民の子どもたちへの支援について
モータウッチェ図書館より感謝状をいただきました。


5)在日ビルマ人の多くがお世話になっているカクデンタルオフィスの賀来先生よりご挨拶をいただきました。日本に来てから歯を悪くしているビルマ人が多く、その理由はストレスにあるのではないか、というご指摘は興味深いものでした。

カクデンタルオフィスの賀来先生

6)記念写真撮影をもってセミナー終了。

集合写真

2009年7月10日金曜日

ビルマの母親、スーチーさん

会員のペンネームWin (Tokyo)さんから、アウンサンスーチーさんを主題とした日本人への力強いメッセージをいただきました。

ビルマ語の原文を、別のビルマの方が日本語に翻訳したとのことで、必ずしも完璧な日本語ではありませんが、読んで分からないというほどでもないので、ほとんどそのまま掲載させていただきます。

Win (Tokyo)さんからは別の記事もいただいていますが、それはまた来週にでも掲載させていただきます。どうもありがとうございました。

((((((((((((以下Win (Tokyo)さんの投稿)))))))))))))

輝いている私たちの指導者
力強い ビルマの母親



1988年、お母さんの面倒を見るため帰国した(独立の父アウンサン将軍の娘)アウンサンスーチー氏は、お父さんのように勇敢で、聡明だから国民皆の信頼と愛情を受け1990年5月選挙では国民の82%という支持を貰って勝利を得るようになって、国民の愛される指導者になりました。

スーチー氏の人生は以前は心配なくて充分な人生でした。世界レベル学識者でもあるし、暖かくて楽しい家族もありました。そんな十分な人生全てを放棄して、無法の行政で、不公平に酷く圧迫されている出生地ビルマの苦しんでいる国民皆のため、スーチー氏は人生をかけて、国民皆の前から堂々と、勇気をもって指導しました。命を気に掛けない、人生を放棄する、皆のため犠牲して、人殺す武器が囲まれている中からも、平和で向き合ったビルマの平和の指導者です。

古くて朽ちている年取った家の中で、周りと連絡を切って、閉じ込まれている年は少なからずのことでした。

独裁軍事政権の期間20年の間14年間ぐらい自宅軟禁という不公平に抑制されること。

そして、息子二人と別れているだけでなく、1999年主人の癌で死ぬ前の最期の時に会うことを否定した 軍事政権の卑怯なこと。

自分の主人と最期の会う機会をはっきりと放棄してビルマの国民の方から立場にすること。

自宅軟禁から自由になった少しだけの間でも町、地方へ団結するために出かけた時軍事政権の妨害に会い追われたこと。

2003年5月30日ディペイン暗殺未遂事件で軍事政権が冷酷無残なやり方を使ったこと。

再び軍事政権が陰謀を図って刑務所に入れようと していること。

今は、スーチー氏のため心配してビルマの国民皆が涙を流すようになりました。

スーチー氏を自由になるように祈る声も世界中にも広がっています。

そんな出来事全てを女一人なのに勇気と沈着さをもって今でも軍事政権に向き合っているのは、自分のためではなかったことを世界中が知っています。烈士らしく人生全てを放棄している女であるスーチー氏を完全武装している軍人40万以上で結成した軍事政権は震えて怯えているのはなぜですか。

平和の母アウンサンスーチー氏には他の何処にも見られないような国民皆さんの信頼と愛の力が見当づけないほど、非常に大勢力をもっているからです。

貧しい国民たちの憂いと苦しみを斥けることができるのです。

ビルマ国民の美しい未来を作ることができます。

泣いている顔を笑わせることができます。

1962年からだんだんと崩壊してきたビルマを全て良く発展する民主国家になるようにできる人でもあります。

ビルマの光であるし、皆の希望でもあるし、皆の指導者でもある国民が頼りになる人、平和の母親です。

世紀の歴史で明らかに現れた国民皆の志士母スーチー氏をどうあっても失うことはいけないのです。

スーチー氏をビルマ国民だけなく世界からも信頼と尊敬されて承認されています。人殺す武器と、卑怯な陰謀を競争し続けました。平和の旗を立て、勇敢で指導した力強いビルマ国民皆の母親でもあります。

最後として、語って聞かせたいのは、そんなに残酷な軍事政権にはできるだけ対抗し続けると誓うことです。
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誓い

たとえ 世界が 失く なっても

たとえ 歴史が 失く なっても
私は 忘れない
私達の 人生のすべて
命をかけて 戦ってきた人達がいたことを
そして 皆の

笑顔の溢れる

平和な生活を 目指して

彼らの後に続いて

私達も 戦い続けます

たとえ 実際に

(平和の母スーチー氏)に 会えなくとも

たとえ 実際に

母スーチー氏の声が 聞こえなくとも

私には 聞こえる

私の心の中に 母スーチー氏の声が

話しかけて くるのを

それは

私と母スーチー氏の願いが 同じだから

そして

国民皆の願いも 一つだから

このことは やがて

大きな 実に なるでしょう

絶対に

平和という

大きな 実に なるでしょう

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私たちが望んでいるのは、アメリカや ヨーロッパや日本などの国々がミャンマーの軍事政権に圧力をかけて母スーチー氏が一日も早く解放されて、国民皆安全、安心に暮らすことできるように、進歩する民主国設立するためアウンサンスーチー氏と対話することです。そして、スーチー氏は私たちの前に元気な姿を見せてほしいということです。そうすれば国民はふたたび希望を持ち、民主化の実現のため努力できるでしょう。

私たちビルマの国民は軍事政権の不当な統治で辛く苦しんでいることを一人でも多くの人にわかってほしいのです。

日本の皆様にお願いします。私たちの思いを、あなた達のまわりにいる皆様に伝えてください。皆様のご協力よろしくお願いいたします。
Win (Tokyo)

8月バス旅行チケット&チラシ

8月9日に予定されているBRSA房総バス旅行のチラシとチケットが早くも出来上がりました。海水浴メインのはずなのに、やけに大仏がフィーチャーされているチラシは、都内のビルマレストランなどに貼ってもらっているそうです。制作は、いつものようにエーナンダーアウンさん。

バス旅行の詳細は追ってお知らせいたします。

ポップな仕上がりのチケット

2009年7月6日月曜日

中央執行委員会

7月5日、巣鴨にて2時より臨時の中央執行委員会。通訳はアウンミンウーさん。

主な議題は事務局長グループの役割について。以下は簡単な要約。

3人の事務局長グループの職務

1)事務局の運営。
2)会長、副会長、担当各部との連絡調整。仕事の割り振り。
3)各部の監督。

(以上)