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  BRSAが捉えた  ネーミョージン,逮捕の瞬間
      
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2014年1〜3月の活動報告
を掲載しました。

4月の予定
4月6日  ミンウーさんのための法要・月例会議
4月13日 ビルマ水掛け祭りに出店(日比谷公園)

2009年8月19日水曜日

21回目の8888に寄せて〜永遠に片付きはしない

会員のダズィンモーさんより8888民主化運動21周年に寄せた感動的な文章をいただきました。8月8日にあわせていただいたのですが、遅れてしまい申し訳ありません。若干の日本語を訂正したほかは、ほぼそのまま掲載させていただきます。

1988年8月8日(21周年記念日)

ビルマは独立を果たしたあと、平和な時代が来ました。平和的にあらゆる方面から発展するように、間違いをおかすことなく努カした総理大臣ウー・ヌの時代です。みんな平等で、なんの心配もなしに暮らすことができました。

その平和な時代が壊れ始めたのは1962年3月2日、ネーウィン将軍による国家評議会が政権をとるようになった時代からです。1962年、政権を奪取した後に、大きな工場とか、富裕者たちの所有している物、工場、家、土地、建物などを「国有財産」と名付けて、不正に奪いとってしまいました。奪いとられた人達は、余りのショックに気が狂いそうになったそうです。ネーウィンの行政は、このように国民の涙、国民の生活が崩れることで始まったのです。
 
ネーウィンの悪政はそれだけにはとどまりませんでした。学生たちが、公正な行政、真実を望んで平和運動を行っていましたが、そんな学生達を、治安軍隊を出動させて残酷に殺したり(1962年7月7日の事件)、学生連合の建物を地雷で破壊したりして、大学生たちを酷く圧迫したのです。そして、国の発展のためには欠かせない主要な研究所にいる学識がある人たちを圧迫し、それに抗議する知識人を逮捕して、刑務所に入れてしまいました。そんな政府のやり方を受け容れられない国民たちはあらゆる方法で国外へ逃れるようになっていきました。国内に残った国民には武力で弾圧して統治しました。

一つの国の一番大切なものが教育です。教育が進歩すると国民の道徳、社会制度、医療など各方面が進歩していくのです。国の一番主要で基本的な教育を破壊してしまったことで、現在は最悪な状態になってしまいました。

ネーウィン将軍の国家評議会が政権を奪取した1962年から26年間、彼は国の財政や天然資源などを自分たちのグループのために利用したのです。一方国民に対しては弾圧して統治しました。榷威をふるう軍隊幹部たちは、自己の利益を図るだけでした。ビルマの金銭を、世界中のどこの国の金銭とも交換可能にするために世界銀行に預けてある金塊を我がものとしたために、今ビルマの国内に流通している金銭は国際的には通用しない、ただの色を塗った紙くずになってしまったのです。

26年間、長期にわたって軍に管理された社会、経済、医療、教育各方面は悪化していきました。様々な方法で弾圧されていた国民たちの不満や怒りは抑えきれない状態まで高まっていて、工科大学生達と文理科大学生達が先頭にたって学生運動が始まりました。この学生運動に対する弾圧は酷いものでした。1988年3月16日に象徴的な事件が起きました。大学の近くにある「白い橋」で治安軍隊が学生達に攻撃をしました。学生達の多くが殺され、その「白い橋」は犠牲者の学生達の血で、まっ赤に染まり、この後は「赤い橋」と呼ばれるようになったのです。それからも、弾圧はさらに続き、真実の民主主義を要求する平和的なデモの一番前から順番に平和運動の学生たちを捕え、殺すなど状況はとても悪くなっていきました。

そして、最悪の警告がネーウィン自身の声でテレビから流れてきました。それは私の胸のなかを今でも忘れられないほど苦しめる演説でした。「国民が集まって、集団で、騒いだら、もう今度は銃を上に向けて発砲しませんよ、次は前へまっすぐあなた達の胸に向けて発砲します。」国の最高指導者は、国民を自分の奴隷のように考え、武器を頼りに暴力で従わせようとしているのです。

1988年8月8日 最も大きい民衆運動、大規模デモ

1962年から始まった運動の波は潔白な学生たちが殺されたことでより大きくなりました。辛抱しきれない国民、僧侶、学生たちが民主化を要求し、ビルマ最大の民主運動8888運動が起きたのです。1988年8月8日の記念すべき最も大きい民衆運動、大規模デモでした。このデモは無垢な学生達、国民たちのたくさんの生命を犠牲にして終わりました。ネーウィンの行政は、この1988年の民衆運動が終わるまで、話しきれないほどの酷い卑怯なやり方でいっぱいでした。

ネーウィン将軍の配下の軍隊が、ネーウィン将軍にとって代わって国の権力を掌握して、ネーウィンの26年間の独裁政治が終わり、軍閥政治へと変わって現在に至っています。しかし、弾圧の政治は続き、学生、僧侶たちの運動は血が流れるようになり、デモは静かになっていきました。しかし、表面では終わったように見えますが、彼らの心の中の叫びは終わっていないのです。

同じミャンマー国民なのに、一方は武器をとり片方はそれに苦しんでいます。日ごとに国民の生活は苦しくなってきています。私はとても悲しく思います。

国民はこわがり、心配しています。貧しい生活は良くなりません。国民の正当な榷利の要求に対して政府は何も答えてくれません。まして、そのような運動に対して弾圧を加えようとするのはもうそろそろ止めるべきではないでしょうか。

国のために尊い命を捧げた、私の先輩である学生や僧侶の皆さまのために、この日を忘れてはならないし、あの人たちに代わって私なりにできるだけ―生懸命やろうと思っています。

真実の民主化のため生命を犠牲にした兄弟学生達の皆さまにこの文章で謹んで敬意を表します。もう21周年になりましたが、国民の皆さまと私の胸の中にどうしても抜き取れない苦しい悲しみがあったことを忘れたくないのです。私なりにできるだけ―生懸命やろうと決意します。

真実の民主化のため、生命を犠牲にした兄弟学生たち、国民たちとともに、人生をかけて投獄されて、弾圧されている政治犯兄弟たちにこの文章で謹んで敬意を表します。

特に、私の人生の中で、1988年のビルマ最大の民主化運動の出来事は一生忘れないでしょう。その1988年大規模デモで私の先輩である学生達、私の友達が殺されたこと、そして私自身も目撃した学生達を残酷に殴り殺していたことなど、全てをどのようにも忘れないのです。私達がその時に皆で唄った一つの歌がありました。皆もその歌を忘れないと思います。私も今までその歌を唄うたびに、涙が止まらないのです。

Kabar Ma Kyay Bu

永遠に片付きはしない


私達の血で記録した歴史

革命


民主闘争のまっただ中で戦死した


ホー、勇士皆、全員


志士達が住んでいる国


勇猛な我々ビルマ国民達


コダォマィン 歴史も野蛮になりましたよ 祖父


タキンアウンサン 国も血で汚れるようになったよ 父親

ホー、平気でやっているでしょう

道路の上に国民の死体


積み重なって崩れてゆきます


兄弟姉妹たち


道路の上、流れた血がまだ乾かない


思い迷わないで


民主闘争のまっただ中で戦死した


ホー、勇士皆全員みたいに


独裁者達に(向って)革命運動します


愛国心のある我々志士達


永遠に片付きはしない


。。。。。。。。。。。。。。。。

ダズィンモー

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