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2011年5月17日火曜日

「ここからの民主主義」ための運動論 No.1(セタナー第2号)

「ここからの民主主義」ための運動論

第1回 「将来の民主国家ビルマ」

BRSA副会長 熊切拓
わたしは2003年からビルマの政治運動に関わるようになりましたが、単なる支援者ではなく、当事者のひとりとして時には民主化運動そのものを作り上げてきました(現在BRSAでわたし取り組んでいることのひとつもそれです)。そうした経験は、日本人のものとしては非常に例外的なものですが、少なくとも多くのビルマの人々はそれを許容してくださっているように思います。そこで、ここで今ひとたびビルマの人々の寛容さに甘えて、わたしなりにビルマの民主化を論じてみようと思うわけです。

ですが、論ずると言っても、わたしは、ちょうど研究者やジャーナリストのように民主化運動についてすでに起きたこと、既成の事実に関して報告したり、解説したりしようとしているわけではありません。そうした事柄は、基本的には傍観者の仕事です。しかし、BRSAの会員のみなさんはそのような傍観者ではありません。そうではなくて、民主化の当事者であり、その主体なのです。みなさんが民主化を引き起こさなくてはならないのです。そのような当事者の関心は、当然のことながら過去に属する事柄ではなく、これから起こるべき未来の事柄に向けられていなくてはなりません。もちろん、すでに起きた事柄について学ぶのは極めて重要ですが、それも未来の出来事に関わりある限りにおいてです。ですから、わたしがこれから論じようとする事柄も、必然的に未来の事柄となります。具体的に言えば、わたしは民主化をどのように実現したらよいか、という問いに、「当事者のひとり」として実践的に議論しようと思っているのです。

すでに述べたように、わたしは長い間、さまざまな民主化活動家や難民と行動をともにしてきましたが、そのなかでいろいろなことに気づかされ、また考えさせられました。

そのひとつに、どうしてビルマの民主化活動家は、民主主義を頻繁に口にするほどには、その民主主義が実現した民主ビルマについては語らないのだろうか、というものがあります。つまり、多くのビルマの人は民主主義を切望していますが、さて実際どんな民主主義国家を作りたいのかとなると案外具体的なイメージを持っていないかのようなのです。

これにはもちろん理由があります。わたしは少なくとも4つの要因があるのではないかと思っています。

まず、多くのビルマの人々は、軍事政権の支配下で育ったため、実際には民主主義がどのようなものなのかは知らないため、具体的にイメージすることができない、ということが考えられます。ビルマの人々はただ、軍事政権の支配が憎むべきものであること、そしてその逆の状態が「民主主義」と呼ばれるものであることだけを知っているにすぎないのです。とにかく民主主義は軍事独裁とは違う良いもの、迫害したり殺されたりしない素晴らしいものだという考えだけが頭の中にあるのであり、その民主主義がどの点が具体的に軍事政権よりも優れているかはわからないのです。
「わたしはビルマでは民主主義、民主主義と叫んでいたが、その実、内容はわからなかった。ただとにかく良いものだと信じていただけだった。日本にきてから民主主義がどういうものかはじめてわかった」

わたしはこのように語る声を幾度も聞きましたが、多くのビルマの人々にとってこれがまさに実感なのだろうと思います。

ですが、こう疑問に思う人もいるかもしれません。民主主義とは政治の基本事項のひとつであり、いかに軍事政権下でも、ある程度の知識を得ることができるはずだ、と。また、こう言う人もいるかもしれません。少なくとも難民として日本や、アメリカ、カナダなどの代表的な民主主義国に逃げてきた人々は、民主主義の社会に暮らしているのだから、民主主義についてはっきりした意見を持っているはずだ、と。

わたしはこの意見には一部同意します。つまり、軍事政権下でも民主主義について知識を持つ人は確かにいますし、また民主主義国で暮らす多くの難民は、ある程度は民主主義を体験しています。ですが、そうした知識や経験を持つことと、実際に自分の国、自分の状況に当てはめることとの間には大きな隔たりがあるのです。この問題にはまた後ほど触れることにしましょう。

2番目の要因もやはり軍事政権の産物といえるものです。軍事政権のもうひとつの特徴は極端なまでの権威主義であり、上に立つ者の権威は絶対で、下の者がとやかく言うことはできません。この態度はビルマ社会全体に染み着いてしまっており、残念ながら民主化組織もその例外ではありません。そんなわけで、民主化を求める人々の中には、ただ自分たちの組織の指導者がそれを良いものだといっているから、良いのだ、と考えている人もいます。つまり、こうした人々が民主主義を選ぶのは自分の頭で考えたからではなく、偉い指導者がそうせよといっているからにすぎないのです。これでは将来の民主主義国家ビルマについてそれぞれの立場から具体的に意見を表明する動きが生まれないのも当然のことです。

ここまで読んできて、あるいはビルマの人々は怒るかもしれません。わたしたちはそんなにバカではない、と。わたしはそれにも同意します。実際、個々のビルマの人と話してみると、中にはしっかりした意見を持った人がいることに気づかされます。ですが、そうした人が公の場で自分の意見を公表することは稀なのです。わたしはこれもやはりビルマの軍事独裁に関係あると思っています。つまり、どんなに優れた意見を持っていても、言論の自由のない社会に育った人は、自分の意見を表明することを恐れるのです。たった一言の言葉で命を失うおそれがある国では、黙っていた方が賢明なのです。換言すれば、ビルマでは賢い意見を言う人よりも、黙っている人の方が賢いとされるのです。死んでしまったら、賢いもなにもありませんからね。これが3番目の要因です。

4番目の要因も沈黙に関係ありますが、少しニュアンスが違います。先ほど、ビルマは権威主義的な社会であるといいましたが、それは偉い人や権力者の意見が正しくて、そうでない人の意見が正しくないとされる社会のことです。具体的にいえば、ビルマでは軍人の意見が正しくて、それ以外の人の意見は間違っているとされます。これは明らかに間違った考え方ですが、長年そうした状況に暮らした人はこの考えに馴れてしまって自分の意見に自信がもてなくなってしまいます。自分自身の考えが間違いだとされる、あるいは価値の低いものとされる状況を当然のものとして受け入れてしまっているので、自分がどんなに正しい意見を持っていても、それが自分から生まれたというだけで、なんだか間違っているような気になってしまうのです。これではなかなか自分の意見などいえません。

要するに、多くのビルマの人々の心の中には、こんなビルマにしたい、あんなビルマを作りたい、そんな夢や希望で満ちあふれているはずなのです。ですが、ひとつには恐れから、ひとつには自信のなさから、そうした思いは隠されたままになっているのです。

さて、みなさんはここである皮肉な事態が生じていることにお気づきでしょうか。それは、民主主義を切望している人々が、実際にはその逆の態度、つまり非民主主義的な態度をとってしまっているという事態です。つまり、民主主義とは、自分自身の頭で考え、その考えたことを何の恐れもなく自信を持って公表できることがひとつの基礎であるべきなのですが、実際にはその逆の態度から民主主義を実現しようとしているのが、現在のビルマ民主化運動なのです。これではもちろん、民主化などできるわけはありません。

いわば民主主義に対する希望と、それを実現するための実際の態度との間に乖離が生まれているわけですが、この乖離はさらに奇妙な状況をも生みだしています。

先ほど触れた第1の要因で、ビルマの多くの人々にとって、民主主義は、その内容に関係なくとにかく良いものとしてだけ理解されていると書きましたが、この傾向を極端なほどに推し進めてしまった人々が、ビルマ民主化運動では見受けられます。どういう人かというと、それらの人々は、民主主義を無考えに美化するあまり、あたかもユートピアか天国でなければありえないような宝物であるかのように考えてしまうのです。こうなるともうおしまいです。なぜなら、そのとき民主主義はその人の手から離れてしまうからです。そのとき民主主義は実現不可能な遠い夢となるのであり、人々がただ遠くから眺めて向こうのほうから「よっこらしょ」と重い腰を上げてやってくるのを待つしかないものとなるのです。

みなさんは、バカバカしいとお笑いになるかもしれませんが、これは実際多くのビルマ民主化団体で起きていることです。わたしはいくつかのビルマ民主化団体が、民主化を主張しているのにも関わらず、非民主的な振る舞い、手段、主張をするのを観察してきました。そのたびに不思議に思ったものですが、その理由のひとつがこれなのです。これらの団体は、あたかもこんな風に考えるかのようなのです。「民主主義なんてとてもじゃないが難しくて実現できない。だから、誰か他の人が(たいていの場合この他の人とはアウンサンスーチーさんのことですが)実現してくれるまで、じっと待つしかないね。そして、その待っている間は、もちろん民主主義の実現以前だから、民主主義的に行動するなんてできっこないよ!」

いや、これだけならまだましなのです。もっとひどい考え方をする人がいます。「今は民主主義が実現していないのだから、そのためにはあらゆることをしなくてはならない。そう、民主主義を実現するためには、時には非民主主義的な行動すらとっても良いのだ!」 すでにお気づきの方もいるでしょうが、これは軍事政権の考え方と同じといってもよいくらいです。こうなるともう民主主義は自分のしたいことを正当化するための口実以外の何物でもなくなってしまいます。民主主義を実現するためではなく、民主主義の実現を先延ばしにしていると見るべきでしょう。

ですから、本当に民主主義を実現しようと思うならば、ここまで述べてきたすべての考えや態度を否定しなくてはなりません。非民主主義的な態度からは民主主義は生まれません。また、非民主主義的な行為によっても生まれません。そして、民主主義はみなさんから切り離された遠くにあるものでもありません。それはみなさんの足下にあるものであり、実現するとするならば、今、ここから実現しなくてはならないものなのです。

言い換えるならば、民主主義が実現するかしないかは、みなさん一人一人の行動にかかっているのです。軍事政権だけにその責任があるのではありません。またアウンサンスーチーさんだけが負うべき義務なのでもありません。みなさんの行動や言葉のひとつひとつが民主化に関係あるのです。ビルマの民主化に必要なのは「どこかの民主主義」「誰かの民主主義」ではなく、「ここからの民主主義」「あなたの民主主義」なのです。

「ここからの民主主義」「あなたの民主主義」といいましたが、実はわたしは同じようなことをすでに述べています。それは、民主主義の知識や経験を持つことと、実際に自分の国、自分の状況に当てはめることとの間には大きな隔たりがある、と述べたときのことです。つまり、「ここからの民主主義」「あなたの民主主義」とは、民主主義という考え方を本の中の知識やすでに終わった経験として片づけてしまうのではなく、生きたものとして、少し難しい言葉を使うならば運動し生成するものとして、自分の状況に具体的に当てはめて実践することなのです。このようにある概念を自分の状況に当てはめて解釈することを文脈化(Contextualization)と言います。この文脈化と民主化の関係については別の機会にお話したいと思います。

さきほど、「民主主義は究極の目的なのであり、その実現のためならばたとえ非民主的な行動であっても許される」という考えについてわたしは非難しました。これはしばしば「目的のためならば手段を選ばない」とされる考え方ですが、ここでもう一つ重要なことをわたしは指摘しておきたいと思います。それは民主主義は目的ではない、ということです。民主主義は、みなさんが望む社会を作り上げるための手段なのです。この区別をしておくことは大事です。民主主義が目的となってしまったとき、なにが起きるか、わたしはすでにお話しました。民主主義そのものが目的になったとき、かえって民主主義がないがしろにされるのです。

民主主義を目的としてしまうことの弊害はそればかりではありません。民主主義は実のところ、そんなに美しいものではありません。民主主義の実践は、ひたすら我慢の連続です。強い忍耐力が必要です。そうした日常的で人間的な営みこそが、民主主義の真の姿です。ですが、民主主義を目的としてしまうと、そのような現実的な姿が失われてしまいます。どこか美しく立派なものとしてだけ現れて、それを維持するにはたゆみない努力と苦しみが必要であるということが忘れ去られてしまうのです。そして、ついにはそのような民主主義の本当の姿に失望するに至ります。「わたしの望んでいた民主主義はこんなものではなかった。誰も彼もが言い争いしている、そんな醜い状況が民主主義であるはずがあろうか?」というわけです。

ですが、実際はそれこそが民主主義なのです。どんなに激しく醜く意見を戦わせようが、暴力に訴えない限り、それは民主主義的なのです。民主主義は、芸術でもなければ、美学でもありません。それはわたしたちの生活が芸術でもなければ美学的でもないのと同じです。ですが、民主主義を目的とする人々は、民主主義を理想の美として思い描きます。それで、現実の有様に落胆してしまうのです。落胆するだけならば、まだいいほうです。落胆のあまり民主主義の敵になってしまう人がいます。強いリーダーが現れてこの「醜い」混乱を一掃してほしいと望むようになります。

民主主義を目的とすることの害がもう一つあります。それはどのような民主主義国家を作りたいか、どのようなビルマで生活したいのか、そうした将来のビジョンについて考えることが阻害されるということです。これは民主主義を手段でなく目的として捉える限り当然のことです。将来の民主国家ビルマのイメージは、民主主義を手段として捉えてはじめて思い描くことができます。

ようやくここで、わたしははじめの問いに戻ってきました。わたしはそこでこのように問うたのでした。「どうしてビルマの民主化活動家は民主主義を求める割に、将来の民主国家のビジョンについて語らないのだろうか」と。この問いに関してわたしはいろいろと論じてきましたが、答えを簡潔に要約すれば次のようなものです。「語らないのではなくて、語れないのだ」と。そして、どうして語れないのかといえば、民主化のため積極的な理由からそうしているのではなく、むしろ、恐怖や自信のなさ、あるいは無知からといったような民主主義とはなんの関係もない、それどころか非民主主義的な理由からなのでした。そこで、わたしは先だっての短い答えに次のように付け足すとしましょう。「ゆえに、語れないという状態を脱して、将来の民主国家ビルマについて語れるようになることこそが、本当の民主化の始まりなのである。さらに、他の人がやはり将来の夢や希望を自由に好きなだけ語れるように励ますことこそが本当の民主化活動なのだ」と。

ですが、ここで多くのビルマ民主化活動家がこう言って反論する可能性は大いにあります。「いや、わたしたちはそのような考えに反対する。わたしたちは将来の民主国家について語れないのではない。語ることはできるがあえて語らないのだ。それには2つの理由がある。ひとつにはわたしたちにとって民主化は急務なので、将来の夢を語ることなどにゆっくり時間を費やしている余裕はないのだ。そんなことは、民主化が達成されてから、ゆっくりやればよいことだ。もうひとつの理由は、わたしたちの国の成り立ちに関係がある。ビルマにはさまざまな民族、さまざまな信仰を持つ人々、さまざまな考えを持つ人々がいる。これら多様な人々が、将来のビルマのについて好き勝手なことを言いだしたら、それこそ収拾がつかなくなる。それどころか、民主化以前にわたしたち国民が分裂してしまうかもしれない。民主化のためにはすべての国民が力を合わせなければならないというのに! だから、将来の夢を語るというのは本当は危険なのだ。民主化運動を破壊しかねないのだ。あえて語らないという態度には、あなたの言葉を借りれば『民主化のための積極的な理由』があるのだ。つまり、それは民主化を実現するためにわたしたちが取っているストラテジーなのだ。」

言わしてもらえば、これこそ、もっとも有害なストラテジーです。まず第一に、このストラテジーにおいては、民主主義は単なる国民をまとめるための餌、口実と成り下がっています。第二に、民主主義の根幹である意見の多様性の尊重という考えを蔑ろにしています。自分と異なる人々の意見を封じ込めるために、民主化を利用しているのです。第三に民主主義は手段に過ぎないということをまったく理解していません。民主主義はある望ましい社会を作り上げるための手段なのですから、その社会像に応じてまったく違う形態を取りうるのです。ゆえに、その社会像が定まっていなければ、どのような民主主義が必要なのかもわかりませんし、また民主化を求める人々の間で、どのような民主国家を作りたいのかという点で意見がバラバラならば、それに応じてその求める民主化もバラバラで一貫性のないものになるのです。ですので、将来のビルマに関して意見を一致させることなくして、民主化に団結などありえないのです。これに関しては具体的な例をひとつあげれば十分でしょう。連邦制の解釈は、ビルマ民族とそれ以外の民族とでは大きく異なり、またその違いに応じて求める民主主義も異なりますが、その解釈の違いこそが、いまだに民族間の全面的な協力を妨げているのです。

ゆえに、民主化においては、将来どのようなビルマに暮らしたいか、どのような国であってほしいかをまずとことん議論すべきなのです。そして、その将来のビジョンが明確になればなるだけ、どのような民主主義、どのような民主化が必要なのかがより一層はっきりするでしょうし、また多くの民族に共有されればされるだけ、民主化精力の団結は強固なものとなるでしょう。

もちろんこれは一部の指導者だけの仕事ではありません。民主化を担うすべての人が自分の立場から、自分の「文脈」に即して行うべきことです。どんなつまらないこと、些細なことでもいいから、できるだけ多くの意見を出し、議論し、共通の「将来の民主国家ビルマ」をまず最初にイメージすべきなのです。自分の意見を言うことを恐れていてはいけません。あなたの意見はあなただけにしか言えないのですから、あなたの意見が欠ければその分だけ、将来のビルマ像は不完全なものとなるのです。

では、「将来の民主国家ビルマ」をイメージするとはどういうことなのでしょうか。それは決して難しいことではありません。次回はこれについて「文脈化」という考えを手がかりに考えてみたいと思います(要望があればの話ですが)。

2011年2月28日月曜日

難民認定申請最新情報 第1回《セタナー第2号》

BRSA機関誌セタナー第2号からの記事の紹介です。

難民認定申請最新情報 第1回

以下は2010年12月12日に行われたBRSAセミナーにおいて、アムネスティ・インターナショナル日本でビルマ難民を長年にわたり支援されてきた行政書士の熊澤新さんの講演の記録です。難民問題の最前線で働かれている熊澤さんが、会員のために最近の難民認定申請の状況などについて平易に話して下さいました。(文責・熊切拓)


《難民認定申請のシステム》

最初に難民申請の簡単なシステムの説明をします。ですから、これは申請中の人に関係する話です。後の方で、ビザをもらった人のために、家族をビルマから呼ぶことについてお話します。

今日、ここにおられる日本人の方に、一応先に言っておきますが、わたしはビルマの方々に分かりやすく話していますので、細かいところや言葉遣いで必ずしも法律的には正しくないところもあります。あらかじめご了解ください。

難民申請というのはどんな人でも、つまりオーバーステイでもそうでなくても、あるいは入管に収容されていても、されていなくてもやり方は一つです。

最初に申請をします。しばらくしてからインタビューが必ずあります。その後に、1回目の結果が出ます。その結果の出方は3通りあります。

①難民として認める場合。
②難民とは認められないが、在留特別許可を与える場合。
③難民と認めず、在留特別許可も与えない場合。

①の人は問題ありませんが、②と③の人は異議申立てをすることができます。この異議申立ては結果の出た日から一週間以内にしなくてはなりません。

そして、異議申立ての後にインタビューがあります。これがビルマ人の間で有名な「お台場のインタビュー」と言われるものです。どうして「お台場のインタビュー」かといえば、港区のお台場、フジテレビの近くに法務省の大きな建物があり、そこでこの段階のインタビューが行われることが多いのです。

このお台場のインタビューと最初のインタビューとでは大きな違いがあります。最初のインタビューは入管の審査官だけです。ところが、2回目のお台場のインタビューでは審査官と一緒に3人の参与員がおり、この人たちが話を聞いていろいろ質問します。ですから最初のインタビューで審査官が「嘘だ、嘘だ」と決めつけたことでも次のお台場のインタビューで参与員が信じてくれたらそれは在留特別許可の対象となります。

参与員というのは3人います。この3人全員が難民だと判断すれば、入管がなんといおうと難民認定されるケースがほとんどです。ですから、お台場のインタビューというのは大事なのです。

このお台場のインタビューの後に2回目の結果が出ます。この結果の種類もはじめのものと一緒です。

①難民として認める場合。
②難民とは認められないが、在留特別許可を与える場合。
③難民と認めず、在留特別許可も与えない場合。

①と②の人はいいのですが、③の人、何ももらえなかった人はどうすればいいのか。ここで3つの道があります。

①ビルマに帰る(これはないとは思いますが)。
②裁判を起こす。
③もう一度最初から難民申請をやり直す。これが一番多いと思います。


《最近の動き》

最近の動きについていくつかお話をします。

以前ここでお話したときに、わたしはインタビューまで非常に時間がかかると言いました。去年申請した人はわかると思うのですが、申請してから最初のインタビューまで1年ぐらいかかりました。すごく待たされました。

ところが、今年の秋以降ちょっと変わってきました。申請からインタビューまでが非常に早くなりました。先週あった例でちょっとびっくりしたんですけども、11月8日に申請した人のインタビューが12月10日にあったのです。申請からインタビューまで1ヶ月です。以前なら申請からインタビューまで1年もかかるので、とりあえずまず申請だけして、それから政治団体に加入するなりして政治活動を頑張ればいいと、いままでいろいろなところでお話してきたのですが、今はその期間が短くなりました。

これは入管がそういう手続きを早くすると言っているからです。これが最近の大きな変化です。もう一つの変化は、再申請の時のインタビューが非常に短くなったということです。最近聞いた話では再申請の最初のインタビューが1時間ほどで終わってしまうのだそうです。

何でそんなにインタビューが短いのかと入管に聞くと、再申請の場合は申請者が提出した申請書や書類を前もって読んでいるからそうなるのだとの答えが返ってきました。

ちょっと話が戻るのですが、難民申請をしている人のうち、仮放免の人はお台場のインタビューの結果がダメになると入管に収容されてしまうケースが今とても多くなっています。

仮放免の人はお台場のインタビューの後に入管に呼ばれて不許可と言われると収容されることが多いのです。それで、収容されてしまった人はびっくりして次の2回目の申請を慌ててすぐに出してしまうのです。ですが、すぐに申請する必要はありません。2回目の申請は申請書が重要なので、申請書はゆっくりよく考えて出してください。


《不認定理由書について》

後もう一つ気をつけなければならないことがあります。最初の結果、そして2回目の結果では、難民不認定の場合には「なぜ不認定となったのか」を説明した紙が渡されます。

その紙は日本語で書かれているのでみなさんは直接わからないかもしれませんが、入管の通訳の人がこれを読んでくれます。

この紙にはいろいろなことが書いてあるのですが、実はパターンが決まっているんです。少し説明しましょう。

①あなたは反政府組織のメンバーであっても、組織のリーダーではなく一般のメンバーなので、ビルマに帰国しても危険ではない(平メンバー論)。

②あなたは軍事政権が発行したパスポートを所持して来日している。つまり、これは軍事政権があなたを危険人物とは見なしていない証拠である(パスポート合法取得論)。

③あなたは日本にきてから特に理由がないのに長い間難民申請せずに仕事ばかりしていた(仮放免の人に特に多い理由)。

④(少数民族の申請者に対して)ビルマ政府は少数民族にひどい迫害を行っているが、普通にビルマでおとなしく生活している少数民族には危険はない。
この4つの理由はたいていどの理由書にも書いてあります。

ここでわたしたちがしなくてはならないのは、入管の主張するこれらの理由が間違いであることをはっきりさせることです。

この4つに関してどのような反論ができるか考えてみてください。

最近、わたしがよく聞かれるのは、インタビューの時に何を言えばいいかわからない、ということです。だから、インタビューの答え方を教えてくれ、とよく尋ねられるのです。ですが、インタビューで話すのは自分なのですから、何を話すべきなのかは自分でちゃんと考えてください。自分の頭で考えてくださいね。

では、どのように反論したらいいのかという例をいくつかお話しましょう。

まず①の理由について。

普通のメンバー、例えばNLDでもなんでもいいのですが、政治組織のただのメンバー、リーダーではないメンバーはビルマでは危なくないよと入管に言われたら、どう反論すればよいのでしょうか。

一つの反論として挙げられるのは次のようなものです。ビルマには2200人の政治囚がいますが、これらの政治囚の中にはNLDその他のグループの普通のメンバーもかならずいるんですね。ミンコーナインやスースーヌエなどの有名な活動家も投獄されていますが、2200人すべてがミンコーナインのような人ではないんです。みんながみんなこんな有名な人ではありません。ですから普通のメンバーであっても逮捕される危険があるという反論ができるのです。

②のパスポートの問題。軍事政権の入管に行って自分でパスポートを取得したのだから、あなたには何の危険もないというもので、これは入管が繰り返し主張している考え方です。いまだに日本の入管はこれを主張しています。これに反論するのは簡単です。ブローカーです。ビルマと違って日本にはパスポートを手伝うブローカーはいません。これははっきりいっておきます。日本人はブローカーを使ってパスポートを作ることは絶対にできないです。

ですが、ビルマではブローカーがたくさんいて、パスポートを作ることができます。そういう人は多いと思います。ひどい場合には、ブローカーに頼んでお金を払えば、本人が役所に行かなくても、ブローカーがパスポートを持ってきてくれるらしいですね。お金さえ払えば、自分名義のパスポートをブローカーがわざわざ家まで持ってきてくれるんですね。日本人からすれ不思議なんですが、これがパスポート合法取得論に対する一番有効な反論です。

③は日本にきて長い間難民申請をせずにいる人は本当は難民になる理由がないという考え方です。これに対しては反論となる理由を正直に言えばいいのです。なぜ日本にきて長い間難民申請をしなかったかといえば、これにはいろいろな理由があります。わたしはたくさんのビルマ人から聞きました。一番多いのは、難民申請については知っていたが、具体的にどうやってすればよいのかわからなかったので今までしなかったというものです。それから、難民申請については知っていたが、難民として認められるのはミンコーナインやアウンサンスーチーのような非常に有名な人だけで、自分には無理だと思っていた人もいます。

2003年までに結構多かった理由もあります。いくら軍事政権といえども、いつかはなくなるだろう、ビルマは民主化するだろうと思って難民申請を控えていた、というものです。

何でここでわたしが2003年といったかわかりますか。2003年にはディペイン虐殺事件という事件があったからですね。2003年5月30日、軍事政権は非常にひどいことをしました。それでみんな思ったわけです。軍事政権はやっぱり怖い、そしてすぐにはなくならないだろう、と。それで2003年以降難民申請する人がすごく増えました。

さらにほかの理由もあります。ビルマの人でこの理由を挙げる人がいるのですが、自分は難民申請をしたかったが、ヤンゴンにいる親に電話したら泣いて申請を止められた、というものです。これは結構いるのですね。ビルマの人は日本人と違って親のいうことをよく聞くんですね。

④は民族的迫害に関するもので、あなたはカチン、シャン、カレンなどの少数民族だが、ビルマで普通に生活している分には危険はない、というものです。

この入管の考えは完全な間違いです。少数民族は、例えばカレン人だったらカレン州、シャン人だったらシャン州、モン人だったらモン州、カチン人だったらカチン州に住んでいると軍事政権の軍からひどい迫害を受けるということは非常によく知られています。ですので、入管のいっていることは間違いですね。

こうやって入管が主張する理由に対してこちらからちゃんと説明しないといけないのです。

不認定理由書にはこれら4つの理由が書いてあることが多いのですが、この全部にひとつひとつ反論する必要はありません。入管の言っていることには中には本当のこともあります。入管の言っていることが正しいと思う理由については黙っていればいいのです。

不認定理由書には残念なことが書いていることもあります。「あなたの言っていることはどうもおかしい。言っていることが変わったりして、あなたの言っていることは信じられない。あなたは嘘をついているのではないか」というように書いてあるのです。これは実を言うと非常に困ったケースです。

入管がこのように主張するのには理由があります。インタビューの時に審査官は同じ質問を2回したりします。月曜日のインタビューで聞いたことを水曜日のインタビューでもう1回わざと同じ質問をするんですね。それで、月曜日のインタビューと水曜日のインタビューで違うことを言っちゃうんですね。そうすると、あなたの言葉は信用できないと書かれます。こうした例はけっこうあります。これはインタビューの時に気をつけるしかないですね。

これもよくあることなんですが、インタビューの時はとても緊張します。それでインタビューに答えるわけですが、終わって家に帰った後にゆっくり考えてみたら、インタビューで間違えたことを言ってしまったと気がつくことがあります。それで「どうしよう」と困ってしまう人がいます。

人間には言い間違いや記憶違いがよくあります。ですので、もしインタビューで間違ったことを言ってしまって、後でそれに気がついても、それは大丈夫です。後から入管に「間違いでした」と訂正すればいいのです。

もう一度いいますが、インタビューの時に何を言っていいかわからない、どう答えたらよいか教えてほしいと尋ねる人がいますが、インタビューで話すことについては、自分でちゃんと考えてください。

2011年1月31日月曜日

BRSA機関誌「セタナー」第2号発行

1月23日、BRSA機関誌「セタナー」第2号が発行されました。

無料で配布しております。ご希望の方はご一報ください。

今号の内容は次のとおり。

【ビルマ語パート】
1)編集委員会からの言葉
2)アウンサンスーチーさんの演説の抜粋
3)会員からスーチーさんへのメッセージ
4)難民認定申請最新情報 第1回 (熊澤新さん)
(12月12日のBRSAセミナーにおける熊澤さんの講演をビルマ語に翻訳)
5)政治活動としての助け合い(BRSAの政治的立場) 熊切拓
(「セタナー」第1号の記事をビルマ語に翻訳。)
6)会員の投稿(詩や論説)

【日本語パート】
1)難民認定申請最新情報 第1回 (熊澤新さん)
2) 牛久入管のビルマ人収容状況(大瀧妙子)
3)「ここからの民主主義のために」第1回(熊切拓)

詳しい内容は、後日ご紹介いたします。

2010年11月25日木曜日

政治活動としての「たすけあい」(セタナー第1号より)

(10月24日に発行されたBRSA機関誌「セタナー(気持ち)」からの日本語記事紹介の第3弾です。) 
政治活動としての「たすけあい」 
BRSAの政治的立場について
在日ビルマ難民たすけあいの会副会長 熊切拓
在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)は、「民主化のためのセーフティネット」を標語としていることからも明らかなように、ビルマ民主化のために活動している人々が心身ともに健康に安心して政治活動に打ち込めるように支援する団体です。そのため、わたしたちの活動では、政治活動家である会員たちが直面するさまざまな生活上の問題の解決に重点が置かれています。具体的にいえば、入管に収容された会員への面会活動、仮放免のための身元保証と保証金の貸与、病気の会員のための経済的支援、生活相談などです。また、リクリエーションとして年2回開催しているバス旅行も重要な活動です。 

会員の生活に関するこれらの活動が中心のため、BRSAは単なる福祉団体であり、政治団体ではないと考える人がいるとのことです。ですが、これはまったくの間違いです。わたしたちは、確かに国民民主連盟解放地域(日本支部)(NLD-LA(JB))やビルマ民主アクション・グループ(BDA)、ビルマ民主連盟(LDB)などの民主化団体のように活動はしませんが、それでもさまざまな分野で立派に政治活動を行っています。たとえば、さまざまな民主化デモにBRSAの旗を掲げて参加したり、政治的イベントやお祭りに参加・寄付したりするなどの活動、あるいはこの「BRSAジャーナル」を出版して政治的意見を表明したり、言論の自由を推進したりするのもそれにあたります。ですが、BRSAの政治活動の中には、BRSAだけにしかできない特別なものであるがゆえに政治に関係あるとは分かりにくい活動もあるのも確かです。
 

いっぽう、このようにBRSAの活動が他とは異なっているため、難民認定申請の審査の過程でBRSAの政治的意義がなかなか理解されない、と会員たちが感じているということも聞きました。ですので、今回はBRSAの政治的立場について詳しくお話しできればと考えています。そうすれば会の外の人々もBRSAについてよく理解してくださるでしょうし、また会員のみなさんにもよい刺激となるのではないかと思っています。
 

BRSAの政治的立場について一言でいえば、現在の軍事政権を倒し、ビルマを真正な連邦国家として民主化するために努力する、ということになります。ですが、これは単なるスローガン以上のものではありませんし、またそこにBRSA独自の立場というものは見えてきません。要するに、民主主義を叫ぶだけならば、誰にでもできるのです。軍事政権もまた民主主義を語っています。
 

BRSAがどのように民主化に協力しようとしているのか、何を民主主義と考えているのか、ビルマがどのような国になったら民主主義であると認めるのか、これらは難しい問題ですが、BRSAの政治的立場を考える上で避けて通ることはできません。また、難しくても、できるかぎり答えを出すように努めなくてはならない問題でもあります。なぜなら、その答えこそが、軍事政権が「民主化ロードマップ」と称する一連の欺瞞に満ちた過程の終着点として行おうとしている「総選挙」に対する反論となるからです。この選挙は民主的でもなく、またビルマをよい状況に変えもしない、というのが、BRSAを含むすべての民主化活動家の意見ですが、そればかりでなく、BRSA独自の観点からこの意見を強め、豊かにするのも必要だと考えています(もちろん、これはBRSAだけでなく、どの政治団体も、どの活動家も取り組むべきことです)。
 

わたしたちがビルマ軍事政権に対してBRSA固有のものとして提出できる最大の反論とはなんでしょうか。それは決して難しいものではありません。みなさんの目の届くところにあります。わたしたちの会の名前に含まれる「たすけあい」という一語が、それです。
 

ここでわたしの個人的な経験をお話ししましょう。
 

わたしはアフリカのある小国に幾度か滞在したことがあります。その国は民主主義国家であることを誇りにしており、お札にもそのことが記されていますが、それを信じている人にわたしは出会ったことはありません。人々のいうところによれば、大統領とその家族、そしてその取り巻きたちだけがすべてを支配してるとのことです。これらの有力者に反対する活動家やジャーナリストは投獄されるとも聞きました。この国はビルマのように戦争中ではないため、人々の命が脅かされる事態は稀ですが、ビルマよりはるかに資源に乏しいせいか非常に貧しい人が多く、また国自体が閉塞状態にあるため誰もが息苦しそうに生きているという印象を受けました。わたしは今年の6月にこの国に1ヶ月滞在したのち帰国し、あるカレン人女性の友人にたまたま旅行中の話をしました。そこで、わたしが「あの国では、人は家族以外互いに信用しないのです」というと、彼女は驚いた様子で言い返しました。「なに、それ、ビルマと一緒じゃない! そんな国あるの?」
 

次に、別のエピソードをお話ししましょう。ビルマとタイの国境で活動する著名な学生指導者が、日本に来たさい、政治集会でこんな話をしたそうです。「多くの日本人が旅行者としてタイにやってきますが、ひとつ感心させられた経験があります。日本人旅行者は旅先で同じ日本人旅行者と出会うと、たとえ相手のことを知らなくても仲良くなり、気が合えば一緒に旅行を続けたりするのです。こんなことはビルマ人の間では決して起こらないことです。わたしたちは日本人を見習って、互いを信頼するようにしなくてはなりません」
 

どうしてビルマ社会では他人を信用しないのか、それを説明するのは難しいです。ビルマ軍事政権のせいで、ビルマ国民の相互の信頼が破壊されたのだ、と考える人もいるかもしれませんが、人を信用しない社会だからこそ、あのような政権が生まれ、存続しているのだ、という逆の考えも可能です。また、民族や宗教の多様性にその原因を求める人もいるかもしれませんが、わたしはそれには反対です。先にお話ししたアフリカの小国は基本的にひとつの宗教、ひとつの民族しかいないのです。それにもかかわらず、ビルマと同じような社会状況となっています。わたしとしては、植民地時代の統治、いわゆる「Divide and Rule」に由来すると考えたい。アフリカの小国も長らく植民地支配下にありました。いずれにせよ、この問題に答えるには真剣な研究が必要です。
 

ですが、そうはいっても、少なくともひとつ明らかなことがあります。それは、このように人々が互いに信頼し合わない状態が、軍事政権にとっては得だということです。人々が自分の家族以外の誰も信頼せず、自分のことしか考えない社会、「他人を見たらスパイと思え」という考えが広まっていて他人にできるだけ近寄らない社会、このような社会で政府を本当に変えるような団結力と実効力を兼ね備えた国民運動が組織されるはずがありません。人々の間の信頼こそが社会を変えるのだ、ということを確信しているからこそ、先の学生指導者はあんなエピソードを日本の活動家たちに語ったのです。
 

ここで、BRSAの「たすけあい」について考えてみましょう。ビルマ語とは少し違うかもしれませんが、この言葉は人と人が互いに助け合うということを意味します。では、「互いに助け合う」ときに何が必要でしょうか。それはもちろん、相互の信頼です。互いに信頼する気持ちがあってはじめて、「たすけあい」が可能なのです。
 

ここで、ある矛盾に気がつく人がいるはずです。その人はわたしにこういうことでしょう。「ビルマ社会には相互の信頼がない、とあなたは書いたが、BRSAもまたビルマ社会の一部であるならば、やはり相互の信頼がないはずだ。そして、もしそうならば、相互の信頼が必要な『たすけあい』はできないはずだ。いっぽう、BRSAが『たすけあい』の活動をすでにしているのならば、BRSAにはすでに相互の信頼があるはずだ、そしてBRSAがビルマ社会の一部であるかぎり、ビルマ社会にもこの相互の信頼があることを認めなければならない。これはまったく矛盾ではないか!」
 

これは論理上の冗談に見えるかもしれませんが、真面目に答えるべき問題でもあります。なぜならBRSAの政治的立場はこうした問いを越えたところにあるからです。わたしたちは、ビルマ社会に相互の信頼があるから「たすけあい」ができる、ないからできない、という次元で活動しているわけではありません。そうではなくて、わたしたちはビルマ社会に相互の信頼が生まれ、深く深く根付くよう「たすけあい」の活動を行っているのです。
 

ですから、こう言い換えることもできます。BRSAの「たすけあい」の具体的な内容についてはすでに冒頭でお話ししましたが、わたしたちは日本にいるビルマの難民たちが困っているからという理由だけでこうした活動をしているのではありません。そればかりでなく、わたしたちの活動を通じて、ビルマの社会が「たすけあい」の活動で満ちあふれるようになってほしいから、ビルマの社会が人をたすけあう信頼で満ちた社会となってほしいから働いているのです。つまり、BRSAの活動そのものが、軍事政権に支配された社会を変えるための具体的なプログラムとなっているのです。
 

具体的な活動があるということは非常に重要なことです。ビルマのさまざまな団体は、しばしば団結を訴えますが、残念なことにその団結を生み出すための具体的なプログラムに関する提案がなされることは滅多にありません。その点BRSAは異なります。わたしたちはビルマを変えるには相互の信頼を育てること、また民族、宗教、生活背景などにとらわれない協力関係を築くことが重要であると知っています。そして、そのための具体的なプログラムこそが「たすけあい」なのです。
 

人と人が宗教や民族に関わりなく相互にたすけあう社会、これこそBRSAが思い描き、その実現のために働いているばかりでなく、具体的なプログラムによってすでに少しずつ実現している社会、人間関係といえます。そして、これが具体的な活動であるかぎり、その効果もやはり具体的なものです。つまり、わたしたちが「たすけあい」によって、人と人との関係に刺激を与え、何の関わりもないある人々を相互に助け合う存在に変える時、そこには相互の信頼が生まれ、そしてその信頼が生まれた分だけ、相互不信を養分として存続しているビルマ軍事政権はその土台を削り取られるのです。わたしたちが活動すればするだけ、軍事政権は弱体化するのです。もちろん、今のところはそれほど多くは望めません。ですが、もっとわたしたちがもっと真摯に取り組むようになれば、その効果はますます強く深くなっていくはずです。それはいつしか、軍事政権を根底から揺り動かす流れとなっていくでしょう。そのためには、BRSAはみなさんすべての力を必要としています。自分ではない誰かが民主化をもたらしてくれるのではありません、会員一人一人の「たすけあい」の活動が民主化をもたらすのです。そのような意味で、会員たちのみなさんがもっと「たすけあい」の活動に参加できるようなBRSAであるようにと思っています。(おわり)

2010年11月18日木曜日

「BRSAと私」(セタナー第1号より)

(10月24日に発行されたBRSA機関誌「セタナー(気持ち)」からの日本語記事紹介第2弾です。今回は大瀧妙子会長によるもので、アウンナインウィンさんによるビルマ語訳もペーパー版の第2頁に掲載されています。)

「BRSAと私」
大瀧妙子

この度、在日ビルマ難民たすけあいの会(BRSA)の機関誌発行の運びとなり、会員が自分の想いを表現できる機会が増えたことはとても喜ばしいことです。努力された編集委員の方々に感謝! さっそく作文の苦手な私も一筆参加し、会長としての現在の心境をお届けしたいと思います。

ビルマ難民と私の出会いは牛久収容所での面会から始まりました。保証人、保証金、仮放免後の苦難を目の当たりにし、たいへん心が痛みながらも、個人的な援助には限界があると感じ、助け合う組織の必要性を折につれ話していました。当時の仮放免者から自発的に会を作ろうという話がまとまり、2008年春にBRSAが発足したわけです。

私も会長となり、ビルマ難民と日本人支援者でつくる組織体の民主的運営を目指しました。が、私自身、ビルマ語は分からず、ビルマ文化、ビルマ人気質にも深い理解がなかったため、さまざまな運営上の問題に直面してきました。とまどいながら何とかまとめようと努力して参りました。

会長としての責任感と現実の状況に悩む私にとって、経験豊富な西田先生や先輩の方々のご指導はこの上ない栄養剤となり、私を力づけてくれました。そのお陰で少し肩の力を抜いて新境地で対応して行く気持に変わりました。

会の主人公は会員のビルマ難民です。会の運営は彼らの自主性に任せましょう。私も指導力とか会長責任という気負いを払って、見守りに徹しましょう。BRSA活動が目的からはずれることがないよう脇から注意する程度にしよう。そして主人公の会員自身が経験し、学習し、育っていく過程を楽しみながら共に歩もう。出来ないこと、無理なことは、それを期待すること自体が重荷になるから。でも「いつかは」という希望をもって共に歩もう。そして私も一緒に成長しよう。皆様よろしくお願いいたします。(言葉が足りなくてご理解に苦しむ点もあるかと思いますが、わたしたちBRSAを暖かく見守りご支援よろしくお願い致します。)

2010年11月11日木曜日

あなたの日本語は何級かな(セタナー第1号より)

(10月24日に発行されたBRSA機関誌「セタナー(気持ち)」より日本語記事をご紹介いたします。最初は今日82歳の誕生日を迎えられた西田先生のお書きになった記事からです。在日ビルマ人に対する日本語教育に情熱を傾けられてきた先生ならではの心遣いから本文にはすべての漢字にルビが振ってありましたが、ここでは割愛させていただきました。末尾の2葉の写真と説明は、先生の元の原稿に付されていたものですが、紙幅の都合から紙面には掲載することができなかったものです。 )

あなたの日本語は何級かな
西田敦(BRSA前顧問)

■日曜日、秋葉原の一角はビルマ人でいっぱい

私は日本の名前を西田敦といい、ビルマ語の名前はウーミンガラと言います。時々コーヤンアウンとも言いますが、もうじき82歳のおじいちゃんです。私は 1996年6月から在日ビルマ人を対象にミンガラ日本語教室を開きました。教室の場所は、今は秋葉原駅から3・4分のところにあります。今年で15年目で すが、すでに2000人のビルマの皆さんがここで日本語を勉強しました。先生は20人ぐらいいますが日本人の先生はみな資格を持ったベテランで、ビルマ人 の先生も2人います。毎週日曜日、この教室にはビルマ人がいっぱい集まっています。クラスはあいうえお級、N5級からN1級まであります。まあN3級まで はとりたいですね。ところであなたの日本語は何級かな?


■15年間、警察と入管に通いました

教室は最初ビルマ人生徒2人で始まりましたが、すぐ口コミでたくさんのビルマ人が集まるようになりました。当時は不法入国が多く、警察に留置されるビルマ 人が何人かいました。教室生徒の場合は、私が警察や入管(以前は北区の十条にありました)を訪問し彼らを励ましてきました。最近は警察に捕まるビルマ人は ほとんどいませんが、難民申請して入管に収容されるビルマ人が急増してます。2006年までは教室の生徒や関係者だけと面会していましたが、それ以降は、 ビルマ人女性ならば誰にでも面会するようにしました。女性のほうが精神的に参ってる人が多いことと、男性は人数が多く手が回らないためです。このボラン ティア活動は、今でも続いており、毎週水曜日に品川の東京入管に杖をつきながら収容中のビルマ人女性に面会しています。 


■これからずっと日本で暮らす覚悟はありますか?

この雑誌の読者は難民認定申請者が多いと思います。難民認定申請した人は、ビルマに戻ることができず、家族とも別れて、ずっと日本で生活することになりま す。その際、日本人社会で暮らすにはまず日本語が必要になります。日本語ができれば、就職もらくになります。日本で暮らすと決めたら、ミンガラ日本語教室 に電話してみてください(別紙参照[編者注…第1号第12ページに掲載])。日曜日以外を希望される方は、住んでいる区にはたいてい日本語教室があります ので、区役所に電話してみましょう。ただしこの場合は、いろんな国の生徒と一緒です。 


■日本語が上手になるには

日本語教室だけで勉強しても中々覚えられません。ビルマ人のいない職場で働くと自分で覚えるしかなく速く上達します。テレビ、漫画、看板、電車の中の広告 やアナウンスも日本語教材です。また、小型の日本語~ビルマ語の辞書をいつも持ち歩きましょう。もし日本語が分かる人は私のブログ「U MINGALARのつぶやき」が面白いかもしれません。

(写真①)
私が保証人をしているビルマの女性たちから花束を受け取る(2010年5月 BRSA第3回総会にて)


(写真②)
その花束と記念の置物を前にした私。記念品には「感謝 西田敦殿 あなたのビルマ難民に対する多大なるご支援に心から感謝いたします。在日ビルマ難民たすけあいの会」と刻まれていました。