ミャンマー人難民を支える主婦 大滝妙子さん(62歳)
「五年前に、日本にも難民がいて、法務省の施設に収容されていることを知りました」
大滝妙子さんは茨城県取手市の自宅から隣の牛久市にある同省入国管理局の収容施設「東日本入国管理センター」を週三回訪れ、ミャンマー(ビルマ)人を中心に難民申請者らの面会を続けている。
ミャンマー人たちは軍事政権の母国に帰ると政治犯などとして迫害を受ける恐れがあり、日本滞在を続けるために難民申請をしている。同センターは超 過滞在の外国人らを収容する施設。難民申請者でも在留資格がないと、収容されることがあり、大滝さんらの調査では現在四十人以上が収容されている。一年以 上長期収容されるケースもある。
難民と収容施設の存在は、地元の平和運動の仲間に教えられた。それまでは「難民はアフリカの、飢餓でやせこけた子どものイメージ」だった。
始めたころは週一、二回、面会活動の“先輩”に同行。「言葉も分からないし、一緒に行った人の横でニコニコしているだけ」
二カ月後、一人で面会するようになり、西アジアの女性と出会った。「娘と同じぐらいの二十代。精神的に追い詰められていた。なぜこんな目に遭わせるのか」。政府の対応に疑問と憤りを覚え、面会にのめり込んだ。
面会すると喜んでもらえ、差し入れも頼まれる。だが、収容の長期化や将来への不安から「日本人はいい人。でも政府はひどい」と国への怒りをぶつけられることも。「彼らのストレスが少しでも和らげば、それも面会の役割の一つ」
収容者に会うほど、大滝さん自身の憤りも深まった。「収容で精神も体もぼろぼろになって、仮放免で収容施設から出ても、うつ病とかで日常生活ができない人が多くいる」
面会相手のミャンマー人が仮放免直後に病気で亡くなる悲劇にも直面した。仮放免にも保証人と通常は数十万円の保証金が必要で経済的負担も大きい。
「個人では無理。助け合う互助会のような仕組みをつくらないと」。そう呼び掛け、ミャンマー人たちも必要性を痛感した。昨年三月、会費で医療費な どを支え合う「在日ビルマ難民たすけあいの会」(HPは同会で検索)を設立。ミャンマー人たちから「おかあさん」と親しまれている大滝さんは、会長を頼ま れた。
生活費をやりくりしながらの支援。「疲れ切って眠れないこともある。でも、面会していると、きずなができて見過ごせない。自分が生きている証しかな」と笑う。
会員は約一年で二百人を超えたが、日本人は約十人。「日本の若い人たちに難民やビルマの状況、会に関心を持ってもらい、若い人の力を増やしていきたい」
(飯田克志)
<私の趣味> 歴史、特に古代史、ギリシャ神話やローマ時代、中国の春秋戦国時代などに関心があり、自分なりに読書で勉強している。今夢中なのは、中国の武将らの生きざまを描いた宮城谷昌光著「春秋名臣列伝」(文春文庫)。「現代に近すぎると歴史といっても生々しい。古代史は事実ではないこともあると思うけれど、ロマンやミステリーがいろいろなことをぼかし、エッセンスだけが残っていて、すごく面白い」。考え方など啓発されることもあり、繰り返し読むことも多い。